日本とアラビアとベニバナ
日本とアラビアっていつからつながっていたのでしょう?
直接的にやり取りが始まったのは近世になってからだと思いますが、 間接的な物のやり取りでいうと、飛鳥・奈良時代にまでさかのぼります。
7~9世紀にかけて中国(当時は「唐」と言う王朝)へ派遣されていた遣唐使は、小野妹子が派遣されていた遣隋使に続いての使節団ですが、唐から中国文化や宗教とともにガラス細工や織物、生薬や香辛料、調度品・書物などあらゆるものを日本へ持ち帰っていました。それらは奈良にある正倉院に宝物として今も保管されています。
当時中国は、のちにシルクロードと呼ばれる西洋と東洋を結ぶ交易路を通じローマや中近東、インドと貿易を行なっていました。唐の都・長安(今の西安)に伝わった西洋文化や貿易品は海を越えて、日本まで伝来しました。このことがシルクロードの東の果てが日本だと言われる所以だそうです。
遣唐使が持ち帰ってきた貿易品の中には、アラビアからベニバナやコショウなどの生薬もありました。ベニバナはキク科の植物で、花の色を黄色からオレンジ・紅色と変化させるのが特徴で、花からは染料や生薬、種からはオイルとして利用できることから大変重宝されていました。のちに山形県ではそのベニバナが地域の人々の生活に根付くことになり、その品質の良さからも最上紅花として全国に知られるようになりました。
砂漠に囲まれ日差しも強く、乾燥した風が吹き抜けるアラビアからの天然の恵みが、日本では積雪量が多く夏には大雨となる地方で人々に恩恵をもたらしました。ベニバナは東と西の架け橋として日本とアラビアをつないだのです。
日本では生活に彩りをもたらした天然染料は、古代では生薬として扱われていましたが、現代ではアラビアの人々の肌を潤すエッセンスとして使用されています。ベニバナは形をかえて日本とアラビアの人々を癒しながら再びつなげてくれています。