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【暴論人類学】大野智論 構造から考える大野智氏

2020年をもって活動休止になる嵐。
国民的スターである嵐の活動休止が発表された時は衝撃が走った
SMAPが解散してしまった後だけに影響も大きい

そしてその嵐のリーダーが大野智氏である

10年以上前の深夜ドラマ

彼を最初に知ったのは随分前の深夜ドラマ「歌のおにいさん」
今調べてみたら、もう10年以上前になるようだ。

何気なく見たドラマだったが主役の大野氏の独特の雰囲気を今でも覚えている
やる気のない歌のおにいさん。
何とも癖になる。
見るつもりではないのだが、その時間になると何故か自然とそのチャンネルに合わせてしまう。
そして、ついつい見てしまう。
ハマっていたわけでは無いのだが不思議な魅力があった。
違和感のない自然体の大野氏が印象的だった。

今から思うと、私の中の大野氏のイメージはこのドラマのイメージそのままである。

普通のアイドルのイメージとは一線を画す、あの雰囲気。
自然体の芸術家気質というのだろうか。他のアイドルや芸能人、タレントからは感じたことがない

そして最近、特に気になる大野智氏。
去年ぐらいからだろうか。
嵐にしやがれのあるコーナーを見るようになってからだろう。

嵐にしやがれ

そのコーナーは大野丸。
船舶免許を取って自分が操船する船で大海原へ飛び出し、魚つりをするという企画だ。
勉強が苦手という彼がこんなに勉強したことがないと言いながらも
集中して取得した一級船舶免許。彼の情熱が飄々としたその表情からも伝わってくる。

船を操船時に見せる大野氏の表情、釣りをしている時に見せる表情。
いい表情である。画面を見ている私にもエネルギーが供給される。
自然体から見せる活き活きろした笑顔は、正に水を得た魚のよう。
テレビ画面に引き込まれる。終わってしまうのが惜しい。

太平洋のロケが多いが
大海原のど真ん中、陸地も見えない沖で船の舵をとる大野智。

カッコいい。素直にそう思う。格好いい。
海の男、船長。男が子供の頃から純粋に憧れるカッコ良さ。

おじさんになっても感じる純粋な憧れ。個としての力強さ。
いつの時代も変わらないであろう普遍的な力を画面から感じる

そして最近のソロキャンプだ。
自然の中で見せる大野氏は、収録スタジオでは見られない表情をする。
オーラを感じる。引き込まれる。

生き物、野性としての強さをイメージする

純粋な普遍的なものに対する憧れ。

自然の中で活動する。そのリアクション。

特に焚き火がいい。焚き火で照らせれる大野智氏。
その明かりで照らされ、火を眺める表情。

人類にとって火との関係とは
などということにも思いを馳せたくなる
生物としての強さ、命の純粋さを感じる

感性の基準点

大野智氏を語る上で、よく形容される言葉、多才や鬼才だろう
彼は多彩な才能を開花させている。

嵐のシンガー、ダンサーなどエンターテイナーの顔、テレビタレントの顔
そしてアーティストの顔、釣りやアウトドアで見せる顔。

後者の方が彼本来の姿なのだろうか
彼が集中している時の表情。眩しい。活き活きとしたその表情に。

先日の嵐にしやがれの大野智記念館を見た
彼の幼少期からの行動や判断など。
見ていて思った。その自分基準の行動力や信念の揺るぎなさ。
これが私が気になっていた理由なのだろう
彼は生粋のアーティストなのだ。
基準が自分で、生み出すものも自分から。
世界観が自分を基準した物なのである。

芸術という日本語では表現できていないと思われるアート
本来の意味である人がつくり出したものすべてというアート。
大野智氏が作り出すアートは彼自身である。

彼の才能はギフテッドなのではないだろうか。神が与えし才能だ。
だが彼は万能ではなかった。
一部の才能は秀でていたかも知れないが、学校で主に評価されるような才能には恵まれていなかったのでは。
そして彼の自分基準のアート気質が容易には学校の勉強を受け入れずらかったのではと想像する。

彼の歌やダンスなどの芸能の才能は磨かれて開花することが出来た。
彼がジャニーズ事務所に出会ったのは幸運だったのではと思う。

学校などの日本の教育制度では平均、均一的な教育が重視され、突出した才能を伸ばすような仕組みになっていないから。
彼のような一部の才能の原石があってもそれを開花させるには適していない。
平均より劣る部分を平均に近づけることに労力が費やされるような仕組みが今の学校教育ではないかと

普通の人の感性

彼は自由人である。枠に嵌められたり、強制されることはよろしくない。
自分の基準とするものとの葛藤。

そういった彼の表情、解き放たれた活き活きとした表情に魅了される

そうカッコいいのである。

ソロキャンプ企画で彼は、自分が普通の人であると語っていた。

私も感じた魅了されたのは、普通の人とスター、アーティストの側面を見せるギャップにではないだろうか

普通の人という感性と、そこから生み出される彼のアート。
彼の核となる部分である。
それが芸能活動を続けるうち、ギャップが許容範囲を超えてしまってはいないかと心配になる。

彼が彼であるための核が揺らぎ始めているのではと。

このタイミングで活動休止するのは、もしかすると彼の中で無意識の既定路線なのかもしれない。

大野智ロス

今までのアイドルではあまり見たことがないニュートラルな自然体。
そこから自分の領域に入ったときの表情、笑顔に
こちらも感情移入して見入ってしまう。

そんな彼の姿がテレビ見れなくなる。
これからは大野智ロスになるだろう
これは暫くの間なのだろうか。

次の展開はあるのだろうか。なんだか楽しみではある。


ちょっと長くなったので、他の話はまた次の機会に。












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