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1-2 地に足がついた?小学生時代

 幼稚園の頃、近所に住む同学年の従姉妹以外に、特に仲良く遊んだ友達の記憶がなく、それは小学校低学年までそのままだったが、好きでそうしていたわけではない。私なりに「仲良しの友達がいない」ことは気にしていた。休み時間、校庭で一人ポツンとしていると、みんなで仲良く鬼ごっこをしている人たちが羨ましく思えた。その寂しさを紛らわすため、やっぱりよく図書室に行き、本ばかり読んでいるような子だった。


 そんな私にも転機が訪れた。三年生か四年生の時に、ついに友達らしい友達ができたのだ。学校のトイレに行った時、たまたまとある女子二人の秘密の会話を聞いてしまい、その子たちに「内緒ね」と言われ、私は約束通り内緒にしていた(特に興味がなかったとも言う)。ところが、後日、一人が何やら裏切ったらしく、その二人が喧嘩を始めた。そして、裏切られた様子の一人が、私のところへ来て、「○○ちゃんなんてもう知らない!一緒に遊ぼう!」と言ってきたのだ。こうして私も初めていつでもつるんでいられる、小学生らしい「友達」が偶然できたのだった。

 たなぼた的友達だったが、私はすっかり「仲良しの友達がいる安心感」を覚えてしまった。もう、校庭で遊ぶ時、寂しい想いをしなくてすむ。クラスでグループ分けをする時、仲間外れにだけはされないよう、気を遣うこともない。私は好きな時に好きなことができる「一人の気楽さ」と引き換えに、「友達といる安心感」を取った。年ごろの女子としては、当然のことだったかもしれない。なにせ、日本における年ごろの女子のグループというのは、サバイバルゲームのようなものなのだ。私は「友達といる安心感」を失いたくない一心で、社交性を磨いた。周りに合わせて笑うようになった。本心は隠すようになった。私は「現実を生きる窮屈さ」のようなものを感じていたが、それでも、「一人でいる心細さ」よりはましだと思った。

 こうして、友達と遊ぶ時間が増えていったが、相変わらず本は大好きで、図書室にはよく通った。「読書マラソン」のような企画があると、ぶっちぎりでさっさと百冊を達成していたが、借りた本の中には、図鑑や写真集のようなものもあったから、「読書マラソン」としては、ややインチキだったかもしれない…。


 私は物心ついた頃から動物が好きで、小学生でも飼育委員なんぞをやっていた。図鑑をよく借りていたのも、生き物が好きだったから。やがて、私は動物に関わる仕事がしたいと思うようになっていった。当時、世間では「動物のお医者さん」という漫画が流行っていた。私も流行りに流されて「獣医さんになりたい」と思ったのだが、「獣医は頭が良くなくてはなれない(=お前には無理だろう)」と親に言われた。いやいや、諦めるのは早いぞ。それならばと私は小学六年生の十二月になって、私立中学への進学を希望した。十二月である。ぎりぎりもいいところ。長年、「お受験」のために頑張っていた人たちからは「ふざけるな」と言われそうだが、たまたま市内に出来たばかりの私立中学があり、出来たばかりゆえ絶賛生徒大募集中で、そこを受けたら受かった。「受けたら受かった」としか言いようがないのだが、その中学が付属している高校に姉が通っていたため、私は迷わず「受かったから行く」と親に行った。今にして思えば、学費のことも考えずに、大変親には迷惑をかけた。娘の将来の夢のために進学を許してくれた親には感謝しかない。


 そんな感じで、私は小学生になってから、結構「現実的」になっていった。世間体を気にしたり、将来の夢に向かって着実な一歩を踏み出したり。


 しかし、その一方で、相変わらず夢見る少女の一面もあった。「占い」や「おまじない」が大好きで、その手の本を貪るように読み、特に中世ヨーロッパで行われた「魔女狩り」というキーワードには異常なほど心惹かれ、市立図書館に行って大人向けの資料本を読むこともあった。「自分は魔法使いになるのだ」と本気で思い(獣医はどうした)、小学生女子向けの「魔女っ子大図鑑」的な本を愛読書とし、日々修行に明け暮れていた。「薬草の勉強」と称して庭の草をすりつぶすおままごとをすることもあれば、少し本格的に、ダウジングの練習をすることもあった。


 獣医になるべく図書館で生き物の図鑑を借りてきて勉強したり、友達とのお付き合いで公園を走り回ったり、魔法使いに憧れて家で一人妖精に会うための呪文を唱えたり、何かと忙しい小学生だった。現実と非現実を行ったり来たりしていたが、特に気にはならなかった。それが私にとっては「自然」だったからだろう。私にとっては、「現実」と「非現実」の垣根はないも同然だった。「見える世界」と「見えない世界」。「科学的世界」と「非科学的世界」。私はそのはざまで自由に遊んでいた。飛ぶように、軽やかに。


 しかし、やがて私も、足枷をつけられるように、現実世界へ身を落とさなくてはならなくなってきた。「魔女になるための本」に、「魔法使いは新月の夜にオークの枝をとり、その枝を黒く塗って魔法の杖とした」と書いてあり(真偽のほどは不明。小学生向けの本だし)、私はそれを真に受けて、家の倉庫に落ちていた木の端材を母のところに持っていき、「黒く塗ってほしい」とお願いした。母が少し苦労して、倉庫に埋もれていたペンキを引っ張り出し、黒く塗ろうとしていたら、他の家族が覗いて、「また何をやっとるだ」と苦い顔をした(名古屋弁)。私は、はっと感づいた。

「魔法使いに憧れることは、良くないことなのだ」

 魔法使いになりたいことは、大人が喜ぶことではない。むしろ、いけないことなのだ。隠すべきことなのだ。恥ずかしいことなのだ。前々から私はそんな空気を感じていたけれど、この魔法の杖事件で、確信した。「魔法使いになりたいなんて、人に言ってはいけない」

 幼少期から夢見がちな子どもだったので、家族としては「魔法使いになりたいと思っている」ことは驚くことではなかったかもしれないが、小学校高学年にもなって、まだ止めようとしない私を見て、あきれただけだったのかもしれない。あるいは、別に魔法使いのことは全然気にしてなかったけれど、単純に「ペンキなんて掘り出してきて、何しているんだ」と思っただけだったのかもしれない。でも、私は、この日を境に、親にすら魔法使いの話はしなくなったように思う。


 決定打となったのは、小学六年生の時に起こった、オウム真理教の地下鉄サリン事件だった。あれを契機に、「見えない世界」のことが全て一緒くたになって「オカルト」として片づけられ、「触れてはいけないもの」になったことを、子どもながら肌で感じた。

 私は中学生になった。私は「見えない世界」に憧れを抱く一方で、昔から幽霊が非常に怖くて、お化け屋敷は入れない超ビビりだった。中学生になっても相変わらず怖がりで、一人で夜、二階の自室に行くことすらできず、日常生活に支障をきたしていた。

 だから、私は、蓋をした。「見えない世界」に別れを告げた。十三歳のある日突然、「この世で一番怖いのは生きている人間だ。幽霊なんて、怖くない。幽霊なんて、自分が一生かけて見えるか見えないか分からない存在のために怖がるなんて、時間の無駄だ」とふと思えたのだ。その日から、私は暗闇が怖くなくなった。一人で夜、二階に行けるようになった。お化け屋敷にも笑って入れるようになった。ただ、それと引き換えに、あんなに楽しそうに行き来していた、「妖精」や「魔法使い」といった世界にも、二十年近く蓋をすることになってしまった。重い、重い、「信じてはいけない」という呪いのような蓋を。私にとって、とてもとても大事な世界だったのに…。

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