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7-1 記憶にございません

 「産後鬱に関する体験記を書こう」と思ったくせに、とても正直なところを言うと、私は産後鬱が一番酷かった間の記憶がほとんど、ない。特に、娘の一か月検診を終えて自宅アパートに戻ってから、生後六か月くらいまで、どうしていたのかよく思い出せないのだ。

 多少覚えていることを羅列していこう。

その① 動物園の動物状態
 娘は赤ちゃん時代、授乳でそのまま寝ることもあったが、そうでなかったら、とにかく抱っこ紐に入れて抱っこして、歩いて揺すってやらないと泣き止まなかった。歩いているとその内その振動で泣き止み、うつらうつら寝始める。しかし、まぶたが完全に閉じたのを見届けて「よし、寝た」と思って座ると、起きるのである。起きると、当然また泣き始める。振り出しに戻って、私は再び抱っこのまま歩き始めるのだった。座ることさえ許されぬ拷問。

 当時はそれほど広くないアパートに住んでいたので、そのアパートの台所から廊下にかけての直線四メートルほどの距離を、行ったり来たりして歩き回った。そりゃ、ノイローゼにもなるさという勢い。

 動物園で飼育されている動物が、よく狭い檻の中でうろうろと同じ動作で歩き回るが、あれと同じことをやっていた。私はもう、そういう動物を見ても笑わない。


その② やたらと食べた
 ミルクもたまに足していたが、ほとんど母乳だったせいだろうか。私はいつもお腹がすいて、とにかく食べて食べて食べまくっていた。10時と3時はおやつの時間ではない。ご飯の時間だ。一日5食食べて、その合間にもちろん間食していた。常に何かが口に入っていたと言っても、過言ではない。

 それは娘を抱っこしている時もそうだった。赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、廊下をうろうろ歩き回りながら、かりんとうの袋を抱きかかえてぼりぼりと食べていた。「座って食べなさい」とか上品なこと言っていられない。こちとらサバイバルなのだ。泣き叫ぶ赤ちゃんを抱っこしながら、同じ場所をぐるぐると歩き回り、ぼさぼさの髪の毛でお菓子を貪る半泣きの女性の姿など、男性から見たら怪物かもしれないが、これをやっているお母さん、案外多いのではないかと思う。お疲れ様です。

 掃除機のように家中の食べ物を吸い込んでいったが、それでも私は痩せていき、いや、やつれていき、産後三か月ほどで妊娠前の体重を切ってしまった。私は後に、「母乳ダイエット」を提唱しようかと思ったが、様々な経産婦さんから証言を得たところ、必ずしも母乳を与えていれば痩せるものでもないらしい。個人の体質によるところが大きい。そのため、「母乳育児するつもりだから、妊娠中太ってもいいや♪」とは思わないほうが良いと思われる。


その③ 布おむつ
 出産後、しばらく「自然派育児」を気取っていた私は、自宅アパートに戻った後、布おむつにした。それはいい。布おむつにすること自体はいいのだが、私は布おむつにして、怒っていた。布おむつが漏れることに対して。はい。これは完全に病んでいた。

 布おむつが漏れるのは当然である。比較的ぴっちりガードしてくれる紙おむつだって、まだおっぱいしか飲んでいない乳児の液状うんちが漏れることはよくあるのに、ましてや隙間の多い布おむつをや。

 別に布おむつしか使ってはいけない環境にいたわけではない。紙おむつはバンバン使えた。私は好きで布おむつを選んだのだ。好きで選んだはずなのに、なぜか私は「布おむつの方が良い子が育つ。布おむつでなくてはならない」と思い込み、それに捕らわれていた。そして、漏れて下着や服まで汚れる度に、乳児に対して「なんで漏らしたの!お母さんが大変でしょ!!」と怒鳴っていた。あぁ、完全に病んでいた。

 漏れることも含めて、楽しめるのなら布おむつにすればいい。そうでなければ、紙おむつにすればいい。余裕がある時だけ布にしたっていい。選択肢はいくらでもあり、私は何でも選べる状態なのだ。当時の私に言ってあげたい。「お母さんが笑ってれば、布でも紙でも、そんな子供の育ち方変わらんぞ」と。

 ちなみに、長女は肌が弱く、軽いアトピーを持っていて、今でも調子が悪くなると出てくる。乳児の頃はもっと酷くて、おむつかぶれはしょっちゅうだった。なので、余計に私は、「布の方が肌に優しいはずだから、布であるべきだ」と持論を振りかざして、頑なに布おむつにこだわった。しかし、これは赤ちゃんの体質によるので、うちの娘にしか当てはまらないかもしれないが、娘は濡れて気づかずにいるとずっとしっとりしたままになってしまう布よりも、おしっこであれば、濡れてもさらさらでいられる紙の方が、今思えば合っていたように思う。今思えば。

 しかし、それでも私は「布の方が肌に良い」と思い込んでいた。薄々気づいても、気づかないふりをしていた。娘は、「思い込みを外す」訓練を仕掛けてくれていたというのに。


その④ いつも怒ってた
 いつでも怒ってた。何に対しても怒ってた。娘がおっぱいを欲しがって泣いては怒ってた。眠くて泣いても怒ってた。おしっこしただけで怒ってた。泣いてないのに、お昼寝から起きただけで怒ってた。娘に怒ってないのは、娘が寝ている時だけだった。でも、娘が寝ている時には、宅配便のインターホンの音に怒ってた。選挙カーに怒ってた。表の道路を走り抜けるトラックに怒ってた。しまいにゃ、「ぷいぷい」鳴いてご飯を欲しがるモルモットにまで怒ってた。

 私はそれまでの人生、あまり「怒り」を感じることがなかった。「怒るのは悪い事」と思い込み、自分の怒りを抑え込んでいただけなのだが、自分は「怒らない性格」と思っていたため、これだけ毎日怒れる自分に、正直自分でびっくりした。

 怒り方も、「いい加減にしなさーい」と一発雷落として終わりという爽やかな肝っ玉母さん的怒り方ではなく、かなりヒステリックだった。金切声で怒鳴り散らし、それでも気が治まらない時には、「うわあああああ」と叫んでいた。怒り出すと止められず、制御不能な感じがした。

 しかし、本当に制御不能だったわけではない。怒鳴る前には、ご近所さんに聞こえないよう、家中の窓を閉めるという冷静さがあった(それでも、アパートだし、怒鳴り声は漏れていたと思うけど)。怒ってる最中に来客があれば、「はーい」といつもの余所行きの声で対応できた。

 制御不能なくせに、いざとなれば冷静に怒りを抑えることができた。不思議でたまらなかったが、それを「面白い。この感情は一体どこからやってくるのか」などと、客観的に分析できるようになるのは、それから5年後のことだ。

 怒りの矛先は、育児にも家事にも積極的で、機能不全に陥っていた私の代わりにほとんどのことをこなしてくれていた旦那にも向いた。「なんで仕事行くの!?(家族を養うためだ)」「なんで早く帰ってこないの!?(定時丁度に上がってます)」「なんで寝てるの!?(眠いからだ)」―もう、むちゃくちゃだった。言いがかりもいいところである。旦那ごめん。

 旦那はそんな私を「産後鬱なんだ」と冷静に分析し、「疲れてるんだよ」と受け止めてくれているように感じていたが、後から聞いた話だと、相当怖くてびびっていたらしい。本当にごめん。大の大人の旦那さえもびびらせるほどだったので、当然、娘が泣き止むはずがない。娘泣き止まない→私怒る→ますます泣き止まない→ますます怒る、の無限ループにより、負の連鎖は止まるところを知らなかった。モルモットだけが、特にびびることもなく、ご飯がもらえなくて少しがっかりそうな顔をしていた。


 そんな感じで毎日を密室育児でやり過ごしていたが、細かく、「あの日、あれをして嬉しかった」とかそういう具体的なことが思い出せない。写真やビデオが残っているので、それを見てかろうじて「そんなこともあったね」と思い出せるくらいだ。ただ、娘の寝がえり成功の瞬間だけは覚えている。それくらい。

 「自分、何かがおかしい」とは頭では分かっていた。「このままでは長くもたない」とも。でも、「全部自分が悪い」と思い込んでいて、「だから、自分が気合で何とかしなくてはならない」と思っていた。しかし、具体的にどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。

 私は次第に「ここからいなくなりたい」と願うようになった。娘に「この子さえいなければ」と思うようになった。そして、ある日、ついに、究極の一言を言ってしまった。「あんたなんか、産まなければ良かった!」と。

 私は娘に物理的に手を挙げたことはない。最低限死なないように見守っていたし、母乳もご飯もあげた。おむつも(時々紙おむつがパンパンになってしまっていたが)ちゃんと替えた。泣けば、できる限り抱っこもした。世間で言う「虐待」かどうかと言われたら、恐らく、虐待ゾーンには入っていないと思う。しかし、言葉の暴力は振るってしまった。娘には、謝らなければならないことが山ほどある。

 まだ日本語が理解できるわけではない赤ちゃんだけれど、私は言ってはいけないことを言ってしまった自覚があった。それでも、頭にのぼった血を、下げることができなかった。言葉の暴力の根底には、「お母さんに孫を抱かせてあげたかったのに、できなかった」という、怒りとも悲しみとも虚しさとも何とも言い難い感情が流れていた。赤ちゃんが生まれたら、幸せな日々になるはずだったのに、無能な私のせいで全てが台無しなのだ。しかし、自分へ怒りの矛先を向けすぎると生きていけないので、私は責任を娘に転嫁していた。

 私は旦那にメールした。「仕事、早退してきて。一刻も早く帰ってきて」と。しょっちゅうこんな調子で旦那を呼び出しており、旦那が目に見えて疲弊していくのも分かった。

 旦那は私のせいで疲れていく。赤ちゃんを捨てることなどできない。このままでは三人共倒れだ。じゃあ、どうすればいい?

 私が、消えればいいんじゃない?

 私はそう思った。

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