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「朝焼けであれ」

お立ち寄り頂きありがとうございます。
#大切にしている教え というテーマを見つけたので、とても印象に残っていることばについて書いてみたいと思います。

私は学校という場所が大嫌いでしたが、そのことばは学校生活で受け取りました。贈り主は小学校の当時の教頭先生で、卒業式の日のことでした。
その教頭先生のことが特別好きだったとか、懐いていたとか、そういうわけでもなかったのですが、何故かその時そのことばは、他のどのことばよりもすっと胸に染み入ってきました。

「夕焼けは、どんなに美しくても暗くなるばかり。朝焼けのように、地味で真っ直ぐであれ」

それからそのことばは、私の中で道しるべのように、燦然とあり続けています。元々私は地味な性格で、真っ直ぐと言うか融通が利かない性格をしています。この性格で苦労してきたことも多いですが、何となく、初めて自分のことを少し認めて貰えたような、そんな気もしたのです。
決して華やかとは言えない性格、暗すぎる過去、後ろ向きな思考。それらは一貫して私の芯なのですが、無理をして、背伸びをして華やかであろうとしなくてもいいんだ、と、少し安心したような気持ちにもなったものでした。当時はとにかく母から否定され続け、いじめを受け続ける日々で、人から認められるということに飢えていましたから。

当時から人間関係には本当に苦労していて、周りのすべてが眩しすぎて苦しすぎて、今から思えばよく道を踏み外さずに耐えたものです。考えてみれば、挫けそうになったとき、そしてもう動けなくなったとき、それでも心を支えてくれたのはこのことばだったように思います。
今はただただみすぼらしいけれど、朝になればその内必ず太陽は昇る。私にも光は射す。そう思ってどうにか耐えられたこともありました。
この記事を書きながらしみじみしたのですが、自覚していた以上に、この「朝焼けのようにあれ」という教えは、私に寄り添い続けていてくれたようです。どんなときでも必ず、灯台のように、心を照らしていてくれていました。あの卒業式の日、色々な偉い人が色々なことを仰っていたと思いますが、私が覚えているのはこのことばだけなのです。

きっとこの先も、私の人生は特に強く輝くようなこともなく、静かに静かに、目立つこともなく進んでいくのだろうと思っていますし、また、それで充分です。できれば目立たずにいたいです。でも、手の届く範囲、目の届く範囲を、いつも朝焼けとして見守れるような、そんな人間になれたら良いなと思います。
私は太陽にはなれませんが、「もうすぐ陽が昇りますよ、朝ですよ」と静かに誰かを祝福できるような人間になることができたらその時は、このことばを授けて下さった教頭先生に恩返しができるのかな、と考えています。

病気のこともあって、自分がこれから何かをなし得るような人間になれるとは正直思えませんが、そこまで自分を卑下することをせず、朝焼けのように、いつでも太陽を信じて生きていきたいものです。
時には曇りの日もあるし、雨の日もあるし、嵐の日もあります。けれどそれでも必ず朝は来るし、止まない嵐はないし、そのときはまた、どんどん明るくなる朝焼けが見られますから。

大切にしている教えのお話でした。お読み頂き、どうもありがとうございました。

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