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かつて好きを手放したこと

お立ち寄り頂きありがとうございます。
先日、こんな記事を書きました。

ざっくり言うと、母に自分の「好き」を否定され続けていたので、自分の「好き」を隠すようになったことについてのお話でした。

実は母以外にも、私の「好き」を否定した人たちは、私の周りには割と多かったです。その中に、あまりにも辛くなって「好き」を手放すきっかけになってしまったこともありました。今回はそんなお話をしてみます。

既にバレバレだと思うので伏せずに書いてしまいますが、私は精神科の病院に通院しています。もう二十年を超えました。その中で、主治医は何度か変わりました。

一番最初の主治医は、とにかくお薬を大量に処方する先生で、私の話はあまり聞いてくれなくて、とても短い診察時間の中で、その先生の雑談ばかりを私が聞いているような感じでした。予約していても待ち時間は平均して四時間ほどあり、そして大抵、文句を言わずに大人しく待っている私は順番を後回しにされました。どんなに辛い時でも三分に満たない診察(主治医の近況)で、でもカルテにはいつも、よく判らないですが『30分超』と書かれた、赤い判子が捺されるのでした。

ある日、その主治医に、診察室に入るなり聞かれたことがありました。「佐竹さんはドラマとか見る?」
当時私は連続ドラマが大好きで、特に刑事ドラマが大好きでした。その主治医の診察を、その時点で何年も受けていましたが、ああ先生やっと私の話に耳を傾けて下さるのかー、とぼんやり思いました。

私が刑事ドラマを好きになったのは恐らく父の影響です。刑事ドラマと言えばまずはテレ朝系列な気がするのですが、この辺りはその局が無いので、見られるまでには時差があります。見られないものもあります。
子供の頃、仕事を終えて帰ってきた父が、当時は夕方五時から放送していた『はぐれ刑事純情派』だとか『はみだし刑事情熱系』をよく見ていました。ちなみにですが、『はみ刑事』の劇伴を担当された中村幸代さんの楽曲を、エレクトーンを習っていたときに数曲弾きました。エレクトーン奏者ご出身の方なのですよね。

とにかく我が家にはそんな土壌があって、私はかっこいい刑事ドラマに夢中になったのでした。

そして診察の時の話に戻り、私は恐る恐る口を開きました。
「……お昼にやっている『相棒』が大好きです」。
当時の主治医は意外そうな顔を浮かべてから、へらっと笑って言いました。

「えー、全然佐竹さんのイメージじゃないね。すごく変だよ、おかしい。全然似合わないよ。イメージが崩れて台無しだから、『相棒』が好きなのはもうやめなさい」

……今思い出して書いていても動悸と眩暈がするくらいショックでした。大切に大切に愛でている大好きなものを、ひとから否定されるというのは、やはり傷付きます。
当時もやはり傷付いて、そして今よりもっと自分を客観視できなかった私は、どうしたら良いのかわからなくなって、大好きな『相棒』を好きでいることを、手放してしまいました。

今でも続く人気シリーズを、私は見られずにいます。いえ、時々見るのですけど、あのショックが蘇ってきて、あまり楽しむことができません。
薫ちゃんが戻ってきた物語を追いかけたい気持ちは、結構あるのですけれど……。

好きなものを手放すのは、辛いことです。「好き」は、人生に色々がある中で、自然と移り変わるものでもあるのですが、外から受けた力で「好き」の熱量を奪われるのは、できることならもう経験したくありません。
人には様々な好みがあって、自分にはわからない「好き」も、周りには沢山あります。でも、そんなことに出会っても、誰かの「好き」を奪うようなことはしたくない、と思います。無意識に否定してしまったりしないように気を付けねばです。……それでも、やはり意図しないところでひとを傷付けてしまうこともありますね。難しいです。

理想ばかり言っても仕方ないですが、誰もがそれぞれの「好き」の存在を認め合える世界は、きっと居心地が良いだろうなと想像しています。

またまた長くなってしまいました。お読み頂き、ありがとうございました。

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