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作文の思い出

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、今回は、小学校の頃の作文についてのことなどを綴ってみたいと思います。

毎日、一時間目の授業が始まる前に、「朝礼」がありました。十五分ほど、運動をしたり、歌を歌ったり、読書をしたり、曜日によって決まったメニューが組まれていました。
読書朝礼は好きでしたが、あとはあまり好きではありませんでした。
特に水曜の朝の「作文朝礼」が、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

今でこそ、私は文章を綴ることを趣味としていますが、あの頃は「作文」が大嫌いでした。テーマに縛りがあったことが嫌だったのか、「書かなければいけない」という義務感が嫌だったのか、その辺りはよく覚えていません。授業で書かされる「作文」で、色々と賞を頂いたりもしたのですが、とにかく好きではありませんでした。

作文朝礼で書いたものを、皆の前で発表しなければならないことがあるのも、苦手な一因だったかもしれません。発表をして、質問をしたりされたりして、あれこれ言い合わなければならないのが苦手でした。書くことと話すことは別物だと、当時から何となく思っていたような気がします。
あと、そもそも発表するという行為が好きではありませんでした。授業中に手を挙げて意見や答えを言うのが、とても苦手でした。

作文朝礼は、行われる年と消えている年がありました。作文朝礼が無い年には大抵、読書朝礼がありました。ずっと読書朝礼でいてくれたらいいのに、と思っていました。
でも、作文朝礼が無い年でも、国語の授業で作文や日記を書かなければならないことは変わりませんでした。ちなみに日記の宿題も大嫌いでした。先生からは「作文が得意な子」と見られていましたが、私は「作文が好きな子」ではありませんでした。

学校で書く「作文」は大嫌いなのに、学年が上がると、家では趣味で物語を紡ぐようになります。
もしかすると、「おとなは、多分こういう風に書くことを求めているんだろうな」と、何となくぼんやりと勘付いてしまっていて、どうにかそれに沿うように、少しずつ少しずつ自分の考えを曲げながら「作文」として書いて提出する、そんな自分自身が嫌だったのかもしれません。本当は私はこう思っているけれど、それをそのまま書いたら多分嫌がられるだろうな。ここをこういう風に書き換えたら、怒られずに済むと思うな――そんな風に自分を捻じ曲げていく自分自身に、嫌気が差していたように思います。ひとからどう見られるか、気になって仕方なかったのですね。

学校から離れたら、文章を紡ぐことは楽しくなりました。実際に同じ内容を口頭で伝えるのはとても苦手で無理ですが、書くことが好きな自分に出逢えたのは喜ばしいことです。書くことの基礎を作ったものの一つに、あの大嫌いで苦手だった「作文朝礼」や「作文」の授業もあるのでしょうから、人生に無駄なことは無いというのは真実かもしれません――無駄なことをする時間も、必要だと感じますが。

好きなことはどんどん伸ばすのが良いと思いますし、できれば好きなことだけしていたいものですが、苦手なことや嫌いなことの中にも、可能性は眠っているのでしょうね。何事にも挑戦してみるのが大事、というのは、こういうことなのかもしれません。

何だか話が逸れている気がしますが、作文の思い出のお話でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

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