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共に歩む病

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今回は、少し長くなってしまうのですが、持病の一つのことをお話ししてみたいと思います。

きっかけは、今はもう色々あって絶縁していますが、当時幼なじみだと思っていた彼女の一言でした。十八の春、看護学校に進学するという彼女との最後のお出掛けとして、街と呼ぶには寂れた町をぶらぶらしていました。
ショーウィンドウ越しに春色のイエローのフレアスカートを見て、あれ欲しいなぁ、と言ったあと、彼女はふと私に視線を移して、微妙な表情を浮かべ、ぼそっと言いました。

「そんなに太って、見苦しい」

一瞬、何のことか解りませんでした。でも次の瞬間、私は思いました。
「私って太ってるんだ。痩せなくちゃ」
今となっては判るのですが、当時の体重は健康的な体重よりもだいぶ軽く、何なら目の前の彼女より細かったです。でも当時はそれが判りませんでした。自分のことを客観視する能力がなかった私は、「自分はひどく太っている」と思い込み、その日の帰宅後から極端な行動に出ます。

食事や水分を摂ることをやめました。
そして、神経質に体重を測り、記録するようになりました。

生まれて初めてのダイエットはそうして始まりました。最初なので、面白いように体重が減りました。それに味をしめ、どんどん絶食の期間を延ばしました。特に空腹も感じず、右肩下がりのグラフにテンションは上がっていき、やがてそこに執着することになります。
痩せていることが正しいと思い込んでしまった私は、そうして摂食障害を発症しました。

とにかく100gの増減にヒステリックになったので、コップにほんの少しの水分すら恐怖の対象で、一週間の食事内容が小さなクッキー一枚、ということも常態化しました。
今は思います、何やってるの。ほんと何考えてるの。でも当時は何もおかしいと思えなかったのです。父は涙ぐんで私を諭すのに、「痩せている=正義」という考えに囚われている私は、頑として聞き入れませんでした。当時既に他の病気で通院していましたが、当時の主治医は「何の心配もいらない、まだまだ全然普通の体重だからね。もっともっと頑張って痩せてね!」と、162cmで38kgになってしまった私に言い続けました。愚かな私はそれを信じました。自分にとって都合の良いことを信じるのはとても簡単でした。

結果として、ある朝目が覚めたとき、体は覚醒しているのに脳が夢から覚めることができず、夢の中で私の足を掴んだ幽霊に悲鳴をあげて意識を失い、救急搬送されました。目覚めるととても痛い点滴を受けていて、「危なかったですよ」と、厳しい顔のお医者様に言われました。

その後お決まりのコースで反動を起こし、過食衝動へと移行し、体重の増減を繰り返すことになります。
体重が増えることへの恐怖は今も消えず、色々な適正量の感覚を掴めずにいます。増えては極端に減らし、減らしてはまた極端に増える。私の体重のグラフはそんな波形を繰り返しています。襲い来る恐怖とともに。

摂取カロリーや消費カロリーのバランス、健康的な体重の数値、などなど、色々勉強はしましたが、一度陥ってしまった間違った回路は、頭でわかっていても心がそれを許せなかったりします。
私は甘いものが大好きで、料理も好きですが、未だに正しい付き合い方を見つけ出せず、摂食障害との歩みは恐らく一生続きます。
食べたい気持ちと、食べるのが怖い気持ち。バランスを取ることはとても難しいです。

その人を決めるのは、体重や容姿ではないはずです(私の心は未だに「痩せていること」を求めるので、説得力がないですが)。ありのままの自分を認めて、自分を愛せることの大切さを痛感します。そこに体重がどうとか美醜がどうとか、そんなことは1オングストロームだって必要ないです。そこが解らなかった代償は、とてつもなく大きいものとなりました。

もしも、極端なダイエットを決意している方がこの文章に辿り着いてくださったりしたら、どうかご自分を傷付けないでください。数字に囚われて死にかけたこの愚かな人間を、反面教師にしてください。
ダイエットの本来の意味合いは、健康的な食生活、といったようなことらしいです。身体も心もどちらも大切に、生きていきたいものですね。本当に。

長くなってしまいました。そしてまだ書き足りないこともありますが、私の摂食障害についてのお話でした。お読み頂き、どうもありがとうございました。



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