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鎧のようなもの

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、今回は私の纏う鎧のようなものについて語ってみたいと思います。

……と言っても、そんな大層な物ではありません。
私は人前に出るとき、方言を捨てます。私の鎧とは、標準語なのです。

生まれ育った場所は程好い田舎で、この辺りの方言、というものがあります。そんなに訛りがきつい、とかはなく、どちらかというと癖は少ない方言です。一説によると、女子が使うと可愛い方言らしいです。
私はこの故郷の方言を、人前で使うことがとても苦手です。

気付いたのは、中学生の頃でした。学校では方言で話していましたが、そこに対して違和感のようなものがありました。なので、自分の思考の中では、標準語を使っていました。
そのときは、思考では標準語、外では周りから浮かないように方言を使う、というスタイルでした。

それが今のように逆転したきっかけは、高校に入って間もない頃でした。自称『進学校』の高校の教師は、「これからお前たちは全国に出て自分の道を進むことになる。そのときに喋り方が方言だと非常に恥ずかしい。先生に話しかけるときは、標準語を使うように」というようなことを、思いっ切り方言を使って、思いっ切りこの辺りのイントネーションで言いました。目上の方の言うことはとにかく真に受ける私は、「そうか、この辺りの方言は恥ずかしいのか」と受け取りました。そこが転換点となり、家にいて家族と話すとき以外は、基本は標準語に切り替えました(既に先生には、常に標準語で敬語でした)。同級生と話すときだけ、少し方言を使っていたと思います。浮くので。
そして、元々標準装備の敬語に標準語を加えた、ほぼほぼ書き言葉と変わらない話し方が、私の鎧となったのです。

そうしている内に体調を崩して学校に行けなくなり、対人関係に強い苦手を抱いて引きこもってしまうのですが、人と話さなくてはならないときは、標準語を使うことで、距離を取ろうとしたのかもしれません。

少し話は逸れますが、ヨーロッパの言語に興味を抱いていた時期があります。あちらでは多くの国で、近しい人に語り掛けるときと、敬語として使うときで、二人称や動詞などを使い分けるのですよね(という理解のままうまく説明できているか不安です)。フランス語を少し学んでいたとき、テレビの先生が「仲良くなってからも『Vous』で話してると、そういう『距離のある人』と思われちゃうから……」的なことを仰っていて、ああなるほど私だな、と思ったことがありました。

多分それです。私はいわゆるタメ口を使うことが苦手で、後輩にも敬語を使う人間です。母から要らない子要らない子と言われ続けていたので、自分を人類の最下層に置く、という意識が染みついているのも関係していると思います。

故郷の方言が嫌いというわけではありませんが、特に愛着もない、というのが正直なところです。誰かと話すとき、鎧のように、ワンクッション置くためのクッションのように、標準語を使います。何故かはわかりませんが、方言を使う自分を見せると、弱みを見せている、という風に思ってしまうような感じです。まぁ浮きますけどね、標準語。

もう少し肩の力を抜いて、楽な気持ちで生きていけると良いのですけど。
鎧は確かに身を守ってくれるかもしれませんが、たぶん四六時中身に着けているようなものでもありません。重そうですしね。体も自由に動かなさそうですし。
少し身軽になる努力をしても、損はないような気もします。

人前で方言を使えないお話でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

ちなみに本日の画像は、以前いっしょに暮していたうさぎです。お月様へと帰ってずいぶん経ちます。とても可愛い子でしたよ。

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