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父と過ごせる幸せ

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今回はまた、父とのことを綴ってみたいと思います。私は極度のファザコンなのです。

父が退院して在宅での介護が始まり、そろそろ一週間になります。
日々を過ごすなかで、できること、できないことも少しずつ見えてきています。ただ私はまだまだ気が張っていて、夜ゆっくり眠るだとか、休めるときに休む、ということができていません(ちなみにこれを書いているのも、早朝覚醒して寝付けなくなった時間の活用です。寝なさい)。

色々課題は山積みですが、私の中で大きな変化がありまして、心の中の揺るぎない柱が復活しました。そこはかとない安心感に包まれています。

父の入院中は、とにかく会えない不安や寂しさで埋め尽くされていて、精神的にも正直ぐらぐらしていました。退院に向けての準備で、どうしても母の手も借りなければならず、毎日毎日否定的な言葉をかけられ続けていましたし。「あんたは本当に何の役にも立たない、居ても意味がない」と。そんなことを言われて辛いことを、病院で心細い思いをしている父に愚痴って余計な心配をかけたくもなかったので、独り抱え込んで過ごしていました。電話で声だけで伝えると、余計に深刻に聞こえてしまうかな、と思ったものですから。

ですが幸い父は帰ってきてくれて、顔も見られるしすぐそばで声も聞けます。たまに冗談を言ってくれたりもするので、母のいないときに私も「さっきこんなこと言われてねー」と半分笑い話にしながら愚痴ることもできるようになりました。
心の中で、いつでも味方でいてくれる父という柱が、確たるものとして再構築され、それが心の余裕めいたものとして私を力づけてくれます。
……そんな調子なので中々、親離れは進みません。

父を在宅で介護することは無理なのではないか、と、私の主治医から言われていました。現在の私はその負担に耐えられるような状態ではない、施設に預けた方がいいと思う、と。
でも、まだたったの一週間を過ごしただけの感覚では、どうにかやっていけるのではないかな、と思ったりもしています。ちょっと見通しが甘いでしょうか。甘いのでしょうね。

普段から私がお世話になっている支援センターでは「後悔のないようにね」という言葉を掛けて頂いていました。
本当は考えたくはないのですが、父も80代、この先一緒に過ごせる時間は、どうしても限られています。その中で、後悔はどうしてもするものだけれど、なるべく後悔のないように。それが今の私の目標です。

食事の支度、トイレの介助、水分補給の声かけやさりげなく見守ること……やることは山積みです。でも、それらができる幸せを噛み締めながら日々を過ごしています。父がいてくれないとできないことですから。
この先余裕がなくなることが出てきたら、この幸せに感じる気持ちに戻ってこられるように、この記事を書きました。

きっとこれからの日々は、限りはあっても長く続く。それを信じて、潰れない程度に父との時間を大切にしていきたいと思っています。いつだって私を支えてくれる父を、私も支えていく番です。なるべく長く、父の住み慣れた自宅で過ごせますように。

心の支えのお話でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。


いただいたご支援は、心の糧とさせて頂きます。