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俳句を始めたときのこと

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今回は、覚えている限りで、俳句を始めたきっかけを残しておきたいと思います。

メモ帳の日付の記録があるので、間違いなく、私が俳句を始めた日は2022年の12月18日です。その少し前に、「俳句をやってみよう」と思い立ったのだと思いますが、はっきりとした動機が薄れてきています。
教科書になるものが欲しいと思って、Amazonで入門書を探して注文したので、その記録も残っています。12月17日、『夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業』を注文しています。恐らく、その日辺りに「よし、俳句をやってみよう」と思い立ったのでしょう。

それまでに、テレビで俳句を目にすることは多々ありました。プレバトも何となく見ていましたし、ざっくり言えば夏井先生のお膝元周辺に住んでいるので、地域向けの番組内でよく、夏井先生をお見掛けします。それで、何となく身近にはあったのでしょう。
ただ、投稿コーナーに寄せられた作品に、ばっさばっさと歯切れ良いコメントをする夏井先生を眺めつつ、「私はこれをやられるのは怖いなぁ……」と思っていました。なるべく褒められて伸びたいという甘えがあるものですから。投稿される方々は、実力と共に勇気をお持ちなのだなぁ、すごいなぁ、と尊敬していました。自分が俳句の世界に足を踏み入れるとは、思っていませんでした。

昨年末は、父は入院していましたから、俳句を始めたとき、私は家に一人でした。
少々理由があって小説の執筆から撤退し、もう文章の創作活動をすることもないだろう、と思いつつ日々を過ごしていた中で、それでもどこかで「何かを書きたい」という気持ちが再び芽生えてきていました。でも、完成させたいと思っていた長編小説は、もう書けそうにはありませんでした。体力的に厳しい、という理由もありますが、大きな理由はここでは言えないことです。
そこで白羽の矢を立てたのが、俳句だったように思います。単純に、「文字数(音数)が少ない」というのが決め手でした。今から思えば何と失礼な……。俳句の奥深さを理解していなかったのです。身近なテレビ番組で、割と頻繁に見ていたはずなのに。

それで先述の本を求め、読み進めながら俳句の世界に足を踏み入れました。
あれだけ怖いと思っていた投句も、ちゃっかりやってしまっていることに驚きます。俳句を始めて数日で、地域向けの番組に投句し、それに対して先生からの「もっと実物を見なさい! 吟行は大事よ!」的なコメントが、テレビから流れる、という経験もしました。心臓が早鐘を打っていました。やはり少し怖かったですが、愛を感じるコメントに思えたのでした。

今は短歌の方に比重が傾いているのですが、それでも俳句は細く長く続けていきたいと思っています。「佐竹紫円」は元々、俳号として考えたものですし。投句もできる限り挑戦し続けたいです。
俳句を始めたから、noteの世界にも飛び込んで来られました。ここでしか得られなかったであろう世界の扉にも、沢山出逢いました。
俳句は私にとって、はじまりの場所のようなものなのだと思っています。迷ったら帰ってくる場所であってほしいです。

私を表現する場所として、まずは自分のために。それを通して誰かに何かが伝われば、それはとても幸せなことです。そんな気持ちを忘れずに、これからも俳句(と短歌と、それから川柳)に親しんでいきたいと思います。

俳句と私についての徒然でした。お読み頂き、どうもありがとうございました。

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