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思い出す憂鬱

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、母の日が近付いています。私はこの日がとても苦手です。
これまでも触れてきましたが、私はかつて母から虐待を受けていました。今でも頻繁に、徹底的に否定されます。
虐待サバイバー、という言葉がありますが、人並みの社会生活を送れるくらいに回復していない私は、サバイヴできていないのだろうな、と思います。
今回はまた少し暗めのお話です。

この時期になると必ず思い出す出来事があります。
あれは小学校一年生の四月の終わり頃で、学校生活にまだまだ慣れていなかった頃でした。

母の日を前に、「お母さんにありがとうの気持ちを込めて似顔絵を描きましょう」という授業がありました。まあどこにでもある内容だと思うのですが、先生は言いました。
「お母さんのことをよく思い浮かべて、心を籠めて描きましょう」
当時私は「虐待を受けている」という認識は持てず、嫌われていることだけを自覚していました。思い出す母の表情は、怒った怖い顔だけでした。

絵を描くのは好きだったので、私は一生懸命、母のことをよく思い浮かべながら、鬼のような怖い顔をした母の絵を描きました。我ながらそっくりに描けていました。そこへ先生がやってきて、怖い顔で言いました。

「これはお母さんではありません。お母さんはこんな顔をしていません。描き直しなさい」

……今だったら、虐待を疑う、という案件に入るのかもしれませんが(でも学校現場のことも詳しくは知らないので判りません)、当時はそんなことはなかったのでしょう。
一生懸命母の絵を描いている私を、先生はその一言で否定しました。

さてさて、私は困ってしまいました。新たに与えられた白紙の画用紙に、それでも私の思う母を描くことは許されないようです。でも、私にとっての母は、他のみんなが描いているような、きれいで優しい、にこにこと笑顔を浮かべた女の人ではありません。
クレパスを持った右手は動かず、ただただ途方に暮れてしまいました。時間だけが過ぎていきます。このままでは授業中に仕上がらず、居残りとかになってしまうかもしれません。それも嫌だなぁ……

困り果てた私は、前の席の子が描いている、その子のお母さんの絵を盗み見ました。髪が長くて、カラフルな服を着ていて……その袖の辺りにあるひらひらしたものはよくわからないのですが、そしてにっこり笑った女の人です。
時間は無情に過ぎていきます。カンニングは悪いことだと知っていましたが、私は覚悟を決め、少しだけ色を変えながら、その絵を真似して描きました。袖の辺りのひらひらも、何だかよく解らないまま忠実に模写しました。私が描いたのは、自分の母親ではなく、特に親しくもない同級生のお母さんでした。

母の日が近付いてその絵を受け取った母は、何故かとても喜んで、寝室にそれを飾りました。髪の長さも表情も、服の色も、何もかも実際の母とは違っていましたが、珍しく「よく描けているねぇ」と褒めてくれました。
思春期を迎えた私がその絵を破って捨てるまで、絵は寝室にありました。毎日のように目に入るので、苦痛で仕方がありませんでした。

無いものねだりをしても仕方がないのですが、母の日に何の抵抗もなく、カーネーションだとかちょっとしたプレゼントを、笑顔で贈れたらどんなに幸せだろうな、と思います。
その分父に愛情を注いでもらっているので、欲張ってはいけないのですけども。
今年も近付いてくる母の日をどうやってやり過ごそうか、と、芽吹いた憂鬱を感じながらぼんやり思っているところです。

明るいお話ではありませんでしたが、お読み頂きありがとうございました。

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