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短歌と私

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、noteでは頻繁には載せませんが、Twitterではよく短歌を呟いています。今現在の私にとって、最も身近な創作は、短歌のような気がしています。まだまだ全然初心者ですけども。
今回は、そんな短歌とのこれまでについてを、まだ付き合いは短いというのに、振り返ってみたいと思います。

今になって思えば、NHKの短歌講座が、点けっ放しのテレビから流れていた、という土壌はありました。数年前、日曜の朝だったと思うのですが、Eテレのテレビ体操を見逃さないようにするために、六時になるとテレビを点けていたのでした。そうすると短歌の講座が始まって、でも熱心に見ているわけではありませんでした。何だか難しそうなことをやっているなぁ、と、他の用事をしながら聞き流している感じでした。私の目的は、その後に始まる体操でしたから。

時は流れ、テレビ体操もサボるようになり、父が入院し……そんなある日のこと、私はふと俳句を始めようと思いました。それが昨年末です。12月18日のことでした。その時は、短歌のことは頭にありませんでした。

俳句を始めてみて数日、「そう言えば短歌というものもあるなぁ」と、ぼんやり思いました。興味は出てきていました。けれど、何だか俳句より長い文字を詠まないといけないし、文語じゃないといけないイメージがあるし(偏見でした)と、ちらちら横目で気にしながら、私には無理だろうなぁ、と考えました。悩むこと一週間、クリスマスの日、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しつつ、祖母の短歌を詠んでみました。うわーやっぱり難しい、と思いつつ、祖父のことも詠んでみたりしたのでした。
ちなみにその短歌は、ここにある祖父と祖母の歌です。

そこから少し、短歌もやってみよう、と気持ちが移っていきます。けれどやっぱり難しく感じて、俳句は取り敢えず毎日詠んでみるけれど、短歌はたまに、という感じで過ごしていました。五文字または七文字のフレーズをメモしておいて、どうにか三十一文字の羅列を作る、というスタイルでしばらくやっていました。今よりも更に、短歌と呼ぶには拙い何かの集まりでした。

大きく変わったのは、日付のメモがないので正確な時期が判らないのですが、ある土曜日のことだったような記憶があります。当時入院していた父への思いが溢れて、父のことを詠んだ短歌が一気に五首くらい生まれたのでした。
そこが転換点だったように思います。
(20230624追記:メモ魔の私は別のノートに記録を残していました。一月二十一日の土曜日でした)

そこから段々、短歌への熱が、俳句への熱を上回り始めました。文字の世界ではお喋りな私は、十七音しか使えない俳句より、三十一音使える短歌の方が、少し呼吸がしやすいと感じたのです。十七音にぎゅっと籠める想いも大切にしたいけれど、息がしやすいのは短歌だなぁ、などと思うようになりました。いえ、レベルの面ではまだまだです。あくまで主観の話です。

そんな流れがあって、今は短歌を詠んでみるのがとても楽しいです。
五文字と七文字のフレーズをメモしておかなくても、自然と詠めるようにはなってきています。が、まだ感覚でしか詠めていないので、推敲の力も付けていきたいものです。
センスの有無は一旦置いておいて、私なりのものを詠み続けていきたいなと思っているところです。俳句も忘れずに続けたいです。

そんな思いと共に、今日も詩作に耽るのでした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

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