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創作は孤独か否か

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、私は折々に「創作活動は孤独だ」という言葉に出会いますが、それは自分にも当てはまるのかどうかを考える回にしてみたいと思います。

その前に、私がどのくらいの深さで創作活動をしているかというと、今は浅めです。少し深みを増そうとしていますが、それでも浅瀬でちゃぷちゃぷしているレベルだと思います。
昔は、どうにかその道で食べていくことはできないかと思っていたことがありました。つまり、今よりはだいぶ深いところにいました。芽は出ませんでしたけど。

それを踏まえて、私にとっての創作活動とは果たして孤独なのかどうか、考えてみたいと思います。

私は友達と呼べる人はほぼいません。お世話になっている方はいます。
なので、まず普段が孤独かどうかを考えると、孤独に近い時間が長いと思います。今は介護で家にこもりがちですし、以前はがっつり引きこもっていましたし。人と関わることは、苦手意識が先に立ちます。

そんな私が創作に向き合う時間というのは、思い返してみるとにぎやかでした。小説の登場人物たちとずっとお喋りをしているような感覚で、彼女たちには友情に近い何かを抱いていました。……いや、それ完全に自分の脳内だけで完結する、現実世界の人間関係とは全く違うものですけどね。
あくまで自分の脳内で展開する世界で、それでも自分とは違う(ように思える)タイプのキャラクターの考え方を観察してみるような、そんな感覚を持っていました。
なので、特に孤独だと思うことはありませんでした。

長いブランクを経て、俳句の世界に足を踏み入れたのがきっかけで、最近はこうしてnoteを書いてみたり、短歌や詩の世界にも踏み込んでみたりする創作活動に戻ってきました。やはり私としては孤独は感じません。noteで関わって下さる皆様も、とてもお優しい方ばかりですし。
俳句に興味を持った頃、父は長い入院生活を送っていたので、私は一人(と一匹)で家を守っていました。思えば、現実逃避に似た何かだったのでしょう。俳句に取り組んでみる時間よりも、現実を見ている間の方が、私にはずっと孤独に思えました。心細かったですし、母とは上手くいかないですからね(母は近くで別居中です)。

俳句や、一週間ほど遅れて始めた短歌には、父や祖父母(私の祖父母とはいつだって父方を指します)のことを想って詠むものが結構あったのですが、それを考えている間はすぐそばに、父や、あまり覚えてはいない祖母や、話の中でしか知らない祖父を感じることができました。詩作に耽る時間から現実に引き戻される時間が、やはり一番孤独を感じていました。

向き合い方が浅いために、そこまで真剣ではないために、孤独には感じないのでしょうかね、私の場合。それとも、普段が孤独に近いので、特に気にならないのでしょうか。いえ、まだまだ修行が足りないだけかもしれません。

一般的にはどうなのでしょう。一般的、という言葉が最早適切かどうか判りませんが、このまま使います。一般的には、人は恐らく私より多くの人間関係があって、お友達もいらして、職場や学校や地域などでの人付き合いもあって、その生活の中で創作に向き合う、ということは、やはり孤独な作業なのかもしれません。

創作の世界は、創作をする方の数だけ、いえ、きっとそれ以上にありますから、一括りにはできないものなのでしょうけども。
はい、結局、「人それぞれ」に落ち着きそうですね。

まだまだ未熟者を貫いている私には、創作は孤独ではなかったみたいです、というお話でした。
お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。

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