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春と私

お立ち寄り頂きありがとうございます。
今日は春という季節と、私のことについて綴ってみます。

春は出会いと別れの季節。春は始まりの季節。
そんなイメージがありますが、私にとって春は体調不良との闘いの季節となっています。
きっかけは持病と、あの震災だと認識しています。

私は被災地からは離れた四国にずっと住んでいますが、あの震災の日、テレビから流れてくる惨状に、心だか頭だか、あるいはその両方が、キャパオーバーを起こしました。オーバーフローしてしまいました。

恐らく私は他人と自分の境界がうまく引けていなくて、その上やたらと共感性が高いのです。境界が曖昧だからこそ、なのかもしれません。
最早それは傲慢でしかないのに、他人の身に起きたことを、自分の身に起こったことのように感じて傷を受けてしまいます。

震災から数日はどうにか起き上がることができていましたが、それから半年近く、寝込むことになりました。
その間の記憶は抜け落ちています。ただ、体は鉛のように動かないのに、脳は過覚醒していて、何かがずっと溢れだしているような感覚と、脳が熱を持っている感覚、普段は感じない「爪」の匂いが不快で仕方なかったことだけは覚えています。

それからは毎年、春になると起き上がれなくなる、という状態になりました。
体が思うように動かず、ひどいめまいが起きたり、しんどさを感じて起き上がったり座っていることも難しかったり、といった感じです。

ここ三年ほどはその状態は、主に三月ではなく六月に起こるようになりましたが、毎年春が近付くと、毎年あの日が近付くと、不安の芽が顔を出します。

今年は大丈夫か、とても不安な日々を過ごす今日この頃です。特に今年は、もうすぐ父の介護が始まるものですから、潰れるわけにはいかないのです。

元々は、様々な花に彩られる春という季節は好きでした。桜の木の下でお弁当を食べたり、そういったこともしていました。
出会いと別れはとても苦手ですが……。環境が変わる、ということがとてもストレスなのです。それは持病に起因しています。

春は特に、様々な感情が綯い交ぜになる季節です。不安と期待と、やる気と憂鬱と、新しい気持ちと寂しさと……。
そんな季節に少し浮き足立って、でもやはり不安の方が大きい、私にとってのここ十年ほどの春は、概ねそんな感じです。

いかに春を乗り切るかがこのところのテーマです。
幸いにして今年は、季節を最大限に感じられそうな、俳句というまだ始めたばかりの趣味が傍らにあります。それに加えて短歌もありますし、noteもあります。
不安も期待も、やる気も憂鬱も、新しい気持ちも寂しさも、何かしらの作品として、文章として、昇華させつつ過ごせたらと考えています。

春はもちろん、夏も秋も冬も、巡るなかで同じものは二度と来ません。
今年は今年しかない春を、味わって生きることを目標にしようと思います。

以上、春に関する思いのお話でした。
お読み頂き、どうもありがとうございました。

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