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ファッションセンスが無い話。

アイドルの話をするつもりだったんだけど、それより先に書きたくなったので、この話をします。

どんな物事にも「センス」というのは付き纏う。僕は今二十歳だけど、誰からも何をしていても「センス良いよね」と言われた試しがない。本当に無い。びっくりするぐらい無い。

この前、大学の教授のお酒を飲む機会があって、演劇学科の教授と演劇学科の学生がする話なんて「社会における演劇の役割」とか、「良い役者とダメな役者の違い」とかばっかりなんだろうって思っている方がいるかもしれないが事実、そんなことばっかりだ。
でも僕がその日、教授に投げかけた質問はちょっと違った。
「先生が、『(演出家としての)自分の強みはなんですか?』って訊かれたらなんて答えますか?」
教授は少し困った顔をしてグラスに注がれた炭酸水(その人はお酒が好きじゃ無いのだ。)を一口飲んでから、こんな風に答えた。
「現場で生きてきた事かな。」
あまりにもカッコイイ答えだった。

ここまで読んでもらったが、忘れないで欲しいのはこれからする話はファッションセンスの話だということだ。

人生において付き纏う「センス」の3文字の中で、一番身近なのが「ファッションセンス」だ。
読者であるアナタが、ルソーとかの思想をめちゃめちゃに信じていたりしない限りは、アナタも、そして僕も毎日服を着ている。
で、毎日服を着るということは、毎日ファッションセンスをどこかの誰かから査定されているということだ。
小学生だった時、朝起きれば枕元に母親が今日着る服を選んでくれていたし、中学高校は制服だったから服を着る機会がそこまで無かった。友達と遊んだりする時は、結局母親が最終的には僕をコーディネートしてくれた。大学生になって、タンスの上の方にある服をほぼノールックで選んで着るくらい忙しい生活が始まった。
自分で服を選んで買ったことがない。
何故か?
僕にセンスが無いからだ。
そんなこんなで、自他共に認める「ファッションセンス無さ男」になってしまった。で、19歳の春休み。さすがにこのままではダメだと思って古本屋で分かりやすそうな「メンズファッション徹底解剖」みたいな本を買った。
面白かったし、学びも得た。

とりあえずモノトーンや!

笑わないで欲しい。これは僕の中では本当にコペルニクス的転回だったのだ。いやマジで。
その他諸々得た知識を駆使して、その年の春休みは大いにファッションを楽しんだ。
そして4月。結論から言うと大学二年生の朝は、そんなに暇では無かった。あと、そんなに都合よくタンスにモノトーンの服ばかりあるわけでは無かった。季節感も意識しなくてはいけないし。モノトーンの服が無い場合はそれに代わる知識を思い出さなきゃいけない。そんなことしてたら朝の時間は一瞬で無くなるので、結局また同じようにタンスの一番上にある服を引っ張り出すことになる。そんなことをしているうちに僕が積み上げてきた「センスの欠片」がたちまちに音を立てて崩れ始め、結局「センスの欠片も無い」男になってしまった。

ある日友人に、「自分で着たいもの着れば?」と言われたけどそれはセンスがある人間の理屈であって、元々センスが無い僕には無理な相談だ。自分に確固としたファッション哲学みたいなものもない僕にとって、指標になるのは「他人の評価」しかない。

「現場で生きてきたことかな」とカッコよく答えた教授。「自分が本当に着たい服を着て、街に出たことが無い」大学生の僕。

僕は知らぬ間に、自分の中に烙印を押してしまって、そしていつからか努力することをやめてしまった。そう考えると、僕はワックスのつけ方も知らないし、したい髪型を美容師に聞かれても答えられないし、服屋を見ていても「これ着たい!」と思える服に出会ったことは一度もない。

高校で習った夏目漱石の『こころ』の一節がたまに頭をよぎる。
『精神的に向上心が無い者は馬鹿だ』

僕が、僕自身にいつの間にかに押してしまった「センスがない男」の烙印は、僕の奥の方にまで思ったより深く根を下ろしている。

明日はちゃんとアイドルの話をします。妹に「お兄ちゃんの服すごいダサい感じになってるけど大丈夫?」と母に告げ口していたのがあんまりに悔しかったんで急遽書きました。僕に良い感じの服を買う金をください。

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