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ジェンダーレス徒競走・安田記念

本日2023年6月4日は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(GI)である「競馬法100周年記念 第73回 農林水産省賞典 安田記念」の日です。このレース、出走馬の性別(牡馬、牝馬、騸馬)を問わず参加できるという特徴があります。
しかしながら出走馬の性別が異なれば、肉体的に優位な成熟した牡馬が有利なのは競う前から明白です。そのため、出走馬の負担重量は3歳54kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減と定められております。この設定は平等ではありませんが、競争を公平なものとするために必要な措置と考えられます。

本日、twitter上で「ジェンダーレス徒競走」という言葉がトレンドに上がっていたのでこんなつぶやきをしていたのですが、

とある小学校で「ジェンダーレス」を実現せねばならないということで、運動会で男女混合で徒競走をさせたそうです。そして各レースで男の子がことごとく1位を取ってしまったそうです。安田記念では「公平性」を重視して負荷重量を変えていたのですが、この徒競走ではそのような調整はなかったようです。たぶん「平等ではない」からなんでしょうね。

平等(equality)と公平(equity)を表現した有名な絵

そして、言いたいことは他にもあって、ジェンダーレスという言葉は和製英語で、「男女を同様に取り扱う」という意味で使われているようです。
この「ジェンダーレス」が、今の日本の性差別の現状を表しているような気がします。

男女の性を表す言葉として「セクシャリティ」と「ジェンダー」があります。「セクシャリティ」は生物学的な性を、「ジェンダー」は社会的な性を意味します。徒競走とは、肉体の能力を「走力」という基準で推し量る競技なので、男女混合の徒競走は「ノンセクシャリティ徒競走」と言うのが適切な表現と思われます。徒競走において社会的な性の役割が関与することがあるとも思えないので、ジェンダーを区別しない徒競走というのは大昔から実施されているはずです。社会的な性の役割を考慮した徒競走と言うものがあったとするならば、それは明治時代において「女性が公衆の面前で太ももをさらして徒競走に興じるなどもってのほかだ」という論調で叩かれたことがもしかしたら当てはまるのかもしれませんが。

「ジェンダーレス」という和製英語が誕生したいきさつは不明ですが、一つには「セクシャリティ」という言葉にエロい意味を付随させて日本人が理解しているからというのがあるかもしれません。海外旅行時に入国カードの性別記入欄に「sex」とあったので「週2回」と書いた逸話などもそれを論うものかもしれません。そこで「性別」を表す他の言葉として「ジェンダー」に飛びついたのかもしれません。その辺の苦悩と対処法にダメ出しをする気はないのですが、「セクシャリティ」と「ジェンダー」を区別していない人が多いから、この誤用に違和感がない人が多かったということも理由のひとつではないでしょうか?

多様性を許容し、共存することが求められる社会において、まずは「セクシャリティ」と「ジェンダー」の区別ができないといけないなと思いました。

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