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本とどう関わっていきたいか

先日ツイッターを覗いたら、こんなつぶやきがバズっていた。一世帯あたり、書籍や雑誌の購入が年間10,000円ほどであるらしい。

気になったので、僕も総務省統計局のデータを閲覧してみた。

(司書資格もってるくせに、大学の授業で統計データの探し方を習ったくせに)ツイートの該当データは見つけられなかったのだけど、ネットショッピングでの利用額について、次のような資料を見つけた。

家計消費状況調査通信(総務省統計局 2022年1月発行)

書籍・電子書籍のオンライン購入額が増えているグラフだった。1世帯当たり月平均400円だから、年5,000円ほど。オンライン・オフラインで同額購入していればちょうど年間10,000円の購入費になる。もちろんザックリ計算だからツッコミどころはあるだろうけど、さきのツイートのデータは妥当と考えていいと思う。

今日僕は仕事帰りに書店へ寄って4,000円分購入した。これで3月に入って10,000円以上書籍を購入した。すでに1世帯あたりの年間平均購入額を越えた。

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本や音楽・演劇・映画などは、生きるだけなら不要だが、それらがあれば豊かに生きていけるものとされている。「文化」「カルチャー」と一括りにされるものたちだ。

僕は「本を読めば人生が豊かになる」だなんて思わない。本に過剰に期待しすぎているからだ。

読書は、あくまで「豊かになる可能性」を増させるだけだ。豊かになれるかは、本を読み、表現に触れ、他者の考えや周囲の状況を想像し、そのうえで自ら思考して行動する者だ。

本への期待より、自分への思索と行動を深めたい。

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文化は可能性を広げてくれるものだ。そして、選択次第で可能性はほぼ無限に広がっていき、行動次第で可能性が形になっていく。

戦争や災害は文化・カルチャーの存在理由を希薄にする。緊急時ゆえに画一的にならざるを得なくなり、白黒が明確になる。想像の余白が狭まっていく。カルチャーの広がり・可能性を矮小化させる。プロパガンダや表現統制、自粛は最たる例だ。

その上、そもそも衣食住から漏れて必要とされづらくなり、負のスパイラルに陥っていく。

日常のなかでも、仕事や家事に追われていると、ある種の緊急状態になる。やらなければならないことで占められた画一的な「ルーティン」の中で生きることになる。

そこに文化が入る余地はなくなっていく。

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僕は本と関わっていきたい、という理由で司書資格を取った。そして図書館・書店で勤務した。

ようやく「本とどう関わっていきたいか」を考えるタイミングに来た。おぼろげながら「くらし」「日常」「自然」「自分を見つめる」といったキーワードに感じている。さらに、本との関わりから、他者や周囲の環境、そして世界に対して、どう関わっていくか。

いままで僕は本に期待しすぎていた。

眠くなってきたので、今日はここまで。
おやすみなさい。


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