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カウントダウン 4

1,甘崎莞爾 ドラム
 サンドバッグを思い切り打ち込む。フットワークを加えて上がった息で連打する。いらいらはどうしたって消えない。膝に手をつき肩で息をする。グローブをボクシングジムの隅に投げ捨てて、ポカリを飲み干す。俺はなんにムカついとんじゃ。坊主になってスタジオに入ってきたウガか? 活き活きとラストライブの準備を進めとるシュンか? なんの相談もせんと勝手に解散を決めたユースケか? 甘崎がサンドバッグの赤いレザーに思い浮かべた顔は三人のどの顔でもなかった。殴りつけているのは、無愛想な顔でくすぶった目をした自分自身だった。

 甘崎はスチールロッカーからモップを取り出して床を磨き始める。壁に掛かっている時計に目をやる。短針は二時を指していた。ざっと二時間ほどトレーニングしていたことになる。明日は早番だ。健太のスパーリング練習に付き合う約束もある。その後はスタジオでの練習だ。さっさと掃除を終わらせてアパートへ帰ろう。
 会長の平山から預かっている合鍵で戸締まりをしてジムを後にする。この時間、大通りに人影はない。車もまばらに通り過ぎていくだけだ。体幹に力を込めてマウンテンバイクを漕ぐ。スムーズに加速してスピードに乗る。風を切る。気温は依然として高いが、風はもう冷たさを帯びている。連日のスタジオ練習とボクシングジムでのトレーナーとしての仕事に甘崎の身体は疲れ切っていた。それでも立ち止まってしまえばなにかが胸の内側で爆発してしまいそうだ。だから、いまはがむしゃらに動き回っていたい。自転車のライトの光に引き寄せられた羽虫が甘崎の身体に群がっては飛び去っていく。彼はブルーハーツの『世界の真ん中』を頭の中で鳴らしながら帰路に着いた。

 ジムの重たい扉を開いて学生服の少年が入ってくる。
「健太、やっときたか。ストレッチと基礎練習一通りしたら、スパーリングだ」
 はい! 快活な声で少年は応える。彼は近所の高校に通いながらこのジムに通っている。インターハイに出場するほどの実力者だった。ミット打ちの練習に付き合うだけで健太の非凡さは伝わってきた。ミット越しにも伝わる重たい衝撃、無駄のない筋肉の動き。なにより目の輝きが違う。鋭い闘志が宿った目。なぜか彼の姿とユースケの姿が重なっていく。才能を持った者が纏うオーラに気圧されて、彼の練習相手になるときはトレーナーである甘崎の方が緊張してしまう。

 二人はリングに上がり小刻みに身体を揺らす。レフェリーは平山会長。コングが鳴る。激しいジャブの連打。右ストレート、アッパー。俺じゃあもう練習相手にもなりゃしねえ。だけど引き下がれねえ。カウンターを狙って反撃にうつる。ジャブを打つ瞬間、彼の鋭い目と目が合う。怯んでしまった。次の瞬間には甘崎はリングの隅に吹っ飛んで倒れてしまった。K.O負け。ボクシングをやる者にとって一番悔しい屈辱的な幕切れだ。健太がグローブを外して、手を差し伸べる。甘崎は躊躇してその手をとって立ち上がる。あざっした! 健太が頭を下げる。中途半端なこんな俺なんかに、甘崎は自虐する。くすぶった俺がドンドンと胸の内を叩いてくる。何かをやり遂げてやりたいんじゃ。大好きなもんで一番になってやりたいんじゃ。ドラムを鳴らしたいんじゃ。音楽を鳴らしたいんじゃ。そう訴えてくる。

 がむしゃらにやるしかない。それが不器用な俺の出せる答えであり、唯一の方法であった。健太の肩を小突いて睨みつける。俺の目は輝いてるか? そう心の中で問いかけながら。
「全国でトロフィーとってくんなら俺をK.Oすんのに何分かかってんじゃ。もう一回やるぞ」
 健太の目が燃える。甘崎の頭の中では『リンダ リンダ』が鳴り響いていた。

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