ゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるさんの自伝を読みました。
水木さんは戦争に行かれ、そこで左腕を失うなど、壮絶な経験をされてきました。しかし水木さんは左腕を失っただけで済んで幸運だったと語っています。また、戦地で出会った原住民と仲良くなり、一緒に暮らしました。その中で理想の社会、理想的な生き方についての思索も深められていました。
水木さんの人生からは「生きるとは何か」ということを強く問いかけられました。戦後の日本を生きる私たちこそ読みたい一冊だと思いました。
下記により詳しく記述していきます。
※尚、引用文中に出てくる「水木サン」は水木さんの一人称です!
死を身近に感じて初めて意識される生
水木さんは、子供のころは昆虫採集をしたり、石をコレクションしたり、絵を書いたり、好きなことに没頭して過ごしていたそうです。
しかし、太平洋戦争が始まり、自身も戦争に動員されることを意識し始めると、「人生とはなにか」について考えるようになったそうです。
死が意識されて初めて、生を意識するようになるんだなぁと感じました。
現代ほど、死が遠くにある時代もなかなか無いのではないでしょうか。
国家が安全を作ってくれているし、医療もほとんど誰しも受けられる。その上医療技術が発達している。飢餓もほとんどない。
もちろん、死が近くにないことは良いことです。
しかし一方で、生きるとは何かという問いについて考える時間が減っているのもまた事実かなぁと思います。そんなこと考えなくても、ご飯を食べてたくさん眠れば十分幸せを感じられるので・・・。
水木さんが激戦地である南方行きが決まると、二泊三日の外出許可を頂き、両親と故郷で過ごしたそうです。
その時の心情が切ないです。
末期がんを宣告されると、見える景色が変わって見えるという話を聞いたことがあります。
皮肉にも、人は死を前にして初めて生の悦び、世界の美しさを感じるのかもしれません。
生への渇望。戦地で死線をくぐり抜ける。
下記は、水木さんが戦地で夜、見張りをしていた時、敵襲があり、一目散に逃げた時の描写です。
これは迫真ですね・・・息を飲むような描写です。
銃撃から逃げるというのは映画では見たことがありますが、本当に体験したらいったいどれほどの恐怖でしょうか・・・。
「ただただ死にたくないと願って走り続けた」という様子から、生への渇望を感じました。
ぬりかべとの出会い
戦争のような極限状態では、不思議な現象にも遭遇するようです。
なんと、妖怪「ぬりかべ」と出会ったというのです。
ぬりかべが守ってくれたのでしょうか・・・?
それにしても、ラバウルのジャングルの闇のなかを、敵襲に怯えながら歩き続けるのはいったいどれほどの恐怖でしょうか。
ところで、ぬりかべってゲゲゲの鬼太郎の中のキャラクターだと思っていましたが、九州北部に伝わる妖怪らしいです。(wikipedia情報)
敵襲で、左腕を失う
その後なんとか自軍の基地に合流し、命からがら生き延びることができたようです。そしてしばらくは身体が衰弱しているので、おかゆなどを食べて療養していたようです。
しかし戦地には休まる時が無いようで・・・基地が空襲されました。
そこで水木さんは左腕を失ってしまいました。
麻酔も無い中、軍刀ナイフで切り落とされたようです‥。
普通ならば、絶望してしまったり、気がふれてしまってもおかしくないところですが、水木さんは以下のように語っています。
水木さんのこの言葉を聞くと、自分が情けなくなります・・。
もっと、生の悦びをかみしめたいと思わされます。
もっと力強く生きなければ・・と思わされます。
戦場で出会ったトライ族
その後、水木さんは戦地のラバウルのジャングルの中で、トライ族という原住民たちと出会います。
言葉が通じなくても、トライ族と心を通い合わせることができたのは、水木さんのピュアで透き通った純粋無垢な人柄ゆえかもしれません。
普通、戦争中に戦地のジャングルで知らない民族と顔を合わせたら警戒してしまうでしょう。
トライ族の一員となり、理想の社会を体感
トライ族の生活は水木サンの価値観とマッチしていたようです。
トライ族の生活、社会は軍や戦争といったものとはまるで正反対ですね。
同じ地球、同じ時代、同じ人間でもこうまで違うなんて不思議ですし、生きるとは何だろう?と思わずにはいられません。
おわりに
水木さんの生涯・思想から我々が学ぶべきことはとても多い気がしました。
また、関連する本を読んでみたいなと思います。