林檎(峯澤典子『ひかりの途上で』より)


 喉が渇き目を覚ますと、気配がする。軽く流れるのではなく、内へ内へ重い蜜を溜める、厚みのある香り。旅の人は、気づく。昨夜部屋に戻るとすぐに、ベッド脇のテーブルに林檎を置いて寝てしまったのだと。枕元の明かりで引き寄せると、したたかな重みをかけて、手のひらの丸みにすっと収まる。重みをこのままくちに移すこともできるが、夏の朝日に丹念に研磨された木肌を思わせる安らかな硬さと艶は、食べ物である前にうつくしさとして響く。
 この単調だが澄み切った時間の球体を、ひとりで綺麗に食べ切れるぶんだけ籠に入れ、朝市から朝市を旅するように生きられたら。もぎたての曲線の呼吸を包むためだけに手のひらは使われ、真ん中の窪みに一日の糧となる新しい水や木漏れ日があふれるのなら。いちどは彼も、そう願っていた。
 しかし、鏡面の若さとはうらはらに、林檎の内側は、つねにひどく疲れやすい。ひとたび空気に触れれば、白肌はすばやく変色し、取り返しのつかない傷痕まで一気に駆け下りてゆく。ときには、完熟の時までに果糖になり切れなかった不要な蜜が前進に漏れ出し、そうした生の過剰さが激しい腐敗を招くこともある。
 移動を重ね、ようやく帰路につこうとしている旅人は、空気をはじく光沢より、そんな内面のもろさがほしい、と思う。車窓を横切っていった人や町の残像は、移ろう果肉の弱さでしか包めないのだから。
 こうして手で支えている間にも、果肉の奥で飽和した香りは夜に滴り、熟れきった芯の周りは蜜にまみれながらほろびようとしている。いっそ、皮にまだ輝きがあるうちに、さく、と目覚めの音を立て、すべてをかじりつくすのはたやすいだろう。けれど、彼は、かすかな乾きを感じながらも、手のひらで包み続ける。夜明けへ向かう、完璧な老いのうつくしさを。




峯澤典子『ひかりの途上で』収録
発行:七月堂

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