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七田式の歴史を編纂。七田眞氏が本を遺そうと思ったきっかけとは?

日常において子育ての悩みはつきません。その悩みが解決した時、書き残したりしていますか?悩みや解決方法を書き残すことは、将来の自分や子どもの役に立つかもしれません。今回は、七田式創始者である七田眞氏が本を遺そうと思ったきっかけをご紹介します。

新年を迎え、今年はどんな年になるか不安でもあり楽しみですよね。子どもは日々成長するので、今年は新しい悩みが出てくることでしょう。皆さんは子育ての悩みや解決した方法などは記録として残していますか?

何かに書いて残すことは、将来の自分や子どもが親になった時に役立つかもしれません。今回は、七田式創始者である七田眞氏が自分の半生を書き遺そうとしたきっかけをご紹介します。

●命を救ってくれた「本」

七田眞氏が本を書こうと思ったきっかけをお伝えする前に、眞氏が「本」に命を救われた話をご紹介します。

眞氏が26歳の頃、もともと患っていた結核が悪化し、自宅療養中に医師が両親に「もってあと1、2ヶ月でしょう」と話しているのを聞いたそうです。これを聞いた眞氏は「まだ死にたくない」と思い、病床で読んだ水田鹿次氏の『人類病死の原因に就いて』を実践することにしました。

本には「病死の原因はタンパク質の余剰摂取にある」とあったので、肉類を避け野菜を多く摂るように心がけました。また、山歩きを始め、野草を数種類摘んで帰り、細かくすり潰して飲む、いわゆる青汁健康法を始めました。

そうすると、余命宣告までされた病状はみるみる回復し、眞氏は本のおかげで奇跡的に助かりました。この出来事で、眞氏は本の持つ力のすばらしさをより実感しました。

●七田眞氏が本を書き始めたきっかけ

眞氏は、大変な読書家で年間600冊の本を読んでいました。そんな読書家の眞氏が自分で本を書こうと思ったのは69歳の時で、きっかけは父親でした。

眞氏は父親を尊敬していました。父親は満州鉄道の幹部として働いており、部下の育成に定評があったそうです。眞氏にも折に触れて「運」「鈍」「根」の教えなど人生の指針を示してくれました。

「運」は点に求めるのではなく、引き寄せるもの。人には「鈍」に見えるくらいがちょうどいい。「根気」があればたいていのことを乗り越えることができる。

このような大切な教えも、父親は書き残すことをしなかったので、教わった自分が亡くなれば消えてしまうと思ったそうです。このような「消えてほしくないもの」のために執筆を始めました。そして完成したのが、七田眞の半生記「生きて来た道」です。

「生きて来た道」は、4年ほどかけて全14集が完成しました。眞氏は、本を書き残すことで、若い時自分が本に救われたように、誰かがこの本で救われることを祈っていたのではないでしょうか。

眞氏の半生をまとめることは、七田式の歴史を編纂することでした。眞氏が書き残した書物は150冊を超え、亡くなる2日前まで執筆を続けていたそうです。そして、眞氏が遺してくれた「消えてほしくないもの」は、今でも七田式の考えに共感してくれる人たちに引き継がれているのです。

みなさんも、子育ての記録を残しておくことで将来役立つかもしれません。今年は悩みやその解決策などを書き留めることも目標に入れてみてはいかがでしょうか?