ある夜のできごと-夜のはじまり-

『ある夜のできごと』
「夜のはじまり」

夏の夜に、それは美しい川が夜空を流れることをみなさんはご存知でしょうか。煌めく光の粒子が曲がりくねり、時には急流となって闇の中を上流から下流へ流れるあの川が、空を流れることがあるのです。
天の川、と人は呼びます。
ご存知ですね。それでは、夏だけに見ることができるのかといえば、みなさんのほとんどがそうだと答えるかもしれません。
ですが、冬の夜空に煌々と流れるそれも同じく、天の川であると、どれほどの方が知っておりますでしょう。冬の天の川は夏の川より微かな光なのですが、冷たく澄んだ空気の中では唖然とするほどに美しく、また太くたくましい流れとなることも付け加えておきましょう。
このお話は、そんな冬の天の川が人々を魅了する街で起きた、少しばかり不思議な物語。
夜のはじまり。
陽が沈みかけてきたようです。紫色の光のベールが街を包み込むとき、お話の舞台となる街は霧の立ち込める、それはそれは幻想的な面持ちをしておりました。見通しの悪い湖畔沿いの歩道では、いつもと比べて、多くの浮かれ立つ人の華やかな声があたりに響き、霧に溶け込む紫色の光と相まって、何か特別な空気に満ちています。
そう、今夜はクリスマスイブ。小さいそこの坊やも澄ました顔したあそこのお兄さんも、はたまたお兄さんを見つめるここにいる訳あり顔のお姉さんも、毎年不思議と気分が落ち着かない、そんな日没のことです。
それでもここは気分を少し落ち着けて、みなさん、耳をすましてご覧なさい。華やかな声の中に一つ二つと、重たげなブーツが規則正しく石畳を打つ音が聞こえてきたでしょう。ああ、怖がらなくても大丈夫ですよ。ブーツの主はとても心優しい方ですから。
彼は決まった位置まで歩いてくると、肩に担いだ脚立をよっこらせと、地面に組み立てて置きます。それから帽子を片手で持ち上げて、片手間に袖で額を拭うのが癖でした。
ブーツの主が脚立に登る頃には、あたりを深い闇が覆います。あ、見てください。この頃になれば天の川の最初の流れが夜空をすいと、流れるのを目にすることができます。そしてほら、視線を下げれば今まさに彼が長い棒の先に灯を灯しているのが見えますか。立派なあごひげに飛び火しないよう、繊細な手つきが彼の自慢です。それにしてもあのとても柔らかい火の暖色は、いったい何をするためのものでしょう。
ランプライター。私の国では点灯夫と呼ばれています。みなさんが夜道を寒くないように、また闇の魅力に心が貧しくならないように街灯に火を灯す人のことを言います。
そしてこの瞬間が、私はとても好きなのです。霧の奥に灯った灯が、ぼんやりと円形に浮かび上がって幻想的な空間に点灯夫の影がその一瞬に止まって動かない。美しい瞬間です、とてもね。
そこの高台のあなた。何かに気がつきませんか。彼が灯を灯してきた湖畔の道を指でなぞってみなさいな。
視界が悪いことも幸運なこと。空気に溶け込む光の輪が織り成した、曲線と直線の入り混じる灯の道は、夜空のそれを写したようではないですか。
そう、このお話は2本の天の川に挟まれた美しくも不思議で、少し物悲しさすら感じさせるこの街が舞台なのです。

続く…

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