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私はADHD(注意欠陥・多動性障害)だったという話

ADHDとは何か?

ADHDとは、注意欠陥・多動性障害のことであり、不注意、多動性、衝動性をおもな症状とする障害で、7歳未満の幼児期から起こりはじめる病気。全児童数の3%を占めると言われる。

具体的な症状は、勉強や課題に集中することができず、必要なものをなくしたり、話しかけても聞いていないなど、不注意な態度が目立つこと。

また、手足をしじゅうそわそわ動かしていたり、座っていなければならないときに席を立って走り回る(多動性)、他人の会話や遊びを妨害する、順番を待てない(衝動性)などのようすがみられる。

発症のメカニズムはまだ明確にはわかっていないが、抑制にかかわる脳の機能がなんらかの原因によりうまく働いていないために起こると考えられている。そのため、本人の努力では解決できない。

年齢が上がるとともに多動の症状は減少するが、不注意と衝動性は成人になっても残る場合があり、これを成人ADHDという。

認めたくなかったのだけど、自分はADHDであった

生まれてから長らく、自分は普通の人とは違うという感覚を持っていた。日常のささいなことでも、どうも社会に馴染めないと感じることが多かった。日本では自己を解放できない人が多い抑圧された環境である考え、シリコンバレーのような、自由で失敗を許し、イノベーティブな価値観への憧れがあった。

また、非常に好奇心が旺盛な性格であり、さまざまなことに関心を持ち、人より行動力もあった。頭の回転もはやい傾向があり、しばし思考や行動が先走ってしまうことがあった。私が出した結論にみんなが到達するまで時間がかかり、みんなで動き出した頃には、すでに次のことに関心がうつってしまうようなこともよくある。

しかし、それは自分が育ってきた特殊な環境によるものだと考えていた。アメリカナイズされた価値観の家で育っているために、日本の文化と相性が悪いのだと思っていた。

子どもの頃、親にADHDなのではないかと言われた時には、自分は普通の人だと思って認めなかった。しかし、最近になって自分はもしかしたらADHDなのかもしれないと思いはじめた。そして、友人達とその話をした時に、友人達も同じような悩みを抱えていて実は彼らもADHDであることを知った。

友人らとの共通点は、例えば以下のようなものだった。

・好奇心が旺盛であり、関心が次々と移る
・メンタルの調子が良い時と、悪い時の波がある(躁鬱)
・調子が良い時は覚醒しているような状態になり、寝食を忘れて興味をもったことに集中する。(過集中)
・興味を持ったことの本質がおおよそ掴めると飽きてしまう。最後まで詰めて仕上げることができない。
・過集中状態が続くと体に負荷がかかり、しばらくするとエネルギーを使い果たし鬱状態に突入する。鬱状態になると何も手につかなくなる。朝は早く起きれず、一日中SNSや漫画などを読んで過ごす。
・しばらくするとメンタルが回復し、また躁状態になるのを繰り返す。

自分だけが特殊でないことを知り、同じような悩みを抱えている人がいることを知って安心した私は、心療内科で診断を受けてみることにした。ADHDでもなんでもなくて、ただの社会性・協調性のない人であるとわかってしまったらどうしようと不安であったが、無事ADHDだと診断された(笑)。

今まで悩まされていたことに名前がついていることを理解しただけでも、心が楽になる感じがした。

なぜADHDであることを公表するのか?

私の場合、特定の企業には属しておらず自ら起業をしているために、自由に発信ができる。また、ADHDには得意なこと、苦手なことが明確にあり、そのことをあらかじめ知っておいていただくことで、関わる方達に迷惑をかけることが少なくなると考えている。得意なことにフォーカスし、苦手なことは得意な人に任せられる環境を積極的に作っていきたい。

また、ADHDは人口の5%程度いるとされ(諸説ある)、ADHDであることを理解できずに悩んでいる人も多いと思う。そのような人々が、同じような悩みを抱えている人がいることを知れば安心できると思うので、このように積極的に発信することにした。

また、企業や日本社会全体にも、このような人材の可能性と扱い方について理解を深めていただきたいという思いがある。

ADHDの特徴、得意・不得意。私の場合

私の場合、子どもの頃を思い出すと典型的なADHDの行動があった。例えば、常に落ち着きがなくガサガサと動き回る、あらゆることに関心を持ち「なんで?どうして?」という質問を10分に一回はする、物を頻繁になくす・壊すという、問題児であった。衝動的に行動をするために、後先を考えずに危険なことをして怪我もよくした。頭や腕に今でも残っている傷がある。

現在は、大人になり客観的に自己認識ができるようになったので、かなり落ち着いている。しかし、締め切りを守れなかったり、物をなくすことは今でもある。そういった傾向があることは理解しているので、カレンダーやタスク管理のアプリの利用を徹底したり、AirTagのような落とし物を見つける対策を取ってほとんど問題なく過ごせている。

逆にADHDの強みをうまく活かして活動できていると思う。例えば、ADHDのイメージ先行の思考という特徴を活かして、デザインや写真は非常に得意であると思うし、ビジュアルの感覚は鋭い。

また、過集中を活かして、普通の人ではそこまで集中して取り組めないようなことに集中できる。現在、プログラミングでは9言語程度を扱えるが、これは過集中で毎日15時間ほど学習したおかげである。

衝動がリスクを上回るという傾向もある。会社を作りたいという思いが余って、22歳の時に自分の会社を起業し、1,600万円ほどの借金を抱えたがなんとも思っていない。普通の人だったら尻込みするような状況でも、リスクをかえりみず果敢に挑戦できるのはいいことだと思う。

また、突破力があると感じる。追い詰められた状況になると、脳をフル回転させて機転を効かして問題解決にあたることができる。アドレナリンが出ているので、普通の人なら尻込みをしてしまうような解決策であっても、臆せず飛び込んでいき解決することができる。

例えば、20歳の時に留学コンテストでアジアの1万8,000人より一人に選ばれてシリコンバレーに留学した時、コンテストの存在を知ったのは締め切りの3日前であった。1日目の夜は決断のために使い、残りの2日で志望動機の資料を仕上げ、経営者など40人近い大人達に留学をしたい想いを伝えて、推薦文を書いていただき集めた。わずか3日間であれを成せたのは、ADHDのパワーだと思う。

選考後の書類手続きではADHDの悪いところが出て、ビザの発行に必要な書類を締め切りまでに用意できなくて、担当者を不安に思わせた記憶がある。しかし、SNSや写真で現地の様子をリポートし、名誉挽回した。

ADHDの良さを発揮できる環境には、周りのサポートが欠かせない。裁量性である程度管理されずに自由にやらせてくれること、失敗をしても許してくれる心理的安全性が確保されていること、書類管理などの事務作業をできないことを理解してくれていること。そのような環境であれば、自律的に動くことができ、アイディアが次々と出てきてADHDの本領を発揮できる。興味関心が持てて、そこに自分で知的探索の余地があると思えると、寝食を忘れてできる。

逆に人からやるべきことを押し付けられると、途端に全くやる気が起きなくなる。決まった時間に起きる、毎日決まった作業をする、締め切りに終われるというのは苦痛でしかない。また、事前に計画をたてて順番にこなしていくことも苦手だ。(そうも言ってられないので、自分で対策を講じ、ある程度はできるようになっているので安心していただきたい。)

ケアレスミスもよく起きる。99%完成という状態であと1%のどうしようもない勘違いや、ミスに気づかないことがある。レビュー・チェック体制を作ってミスを指摘してもらうのが良い。要は勢いと突破力と大枠を掴む力はあるが、全体的に雑で丁寧な仕事ができない。

また、3人以上での議論も苦手である。たいがい人の話を聞いていない。どうしても集中して人の話を聞くことができない。断片的にキーワードを拾いながら、頭の中では連想ゲームをしているような状態だ。

ビジュアルが先行する思考のために、耳から入ってくる情報を処理できないのだ。例えば、人の名前を口で言われても覚えることができない。ドラマの主人公の名前ですら、最後まで見てもまったく覚えていない。人の名前を思い出すときは、名前を書き起こした字面のイメージを頭に思い浮かべ、その文字を読んで思い出している。

テキストにされたものを理解するのは早い。会議の内容はあらかじめテキストにされているとありがたい。断片的な情報はテキストでもキツい。論理構造を捉えて本質を掴み、頭の中にビジュアル化できると長く記憶でき、アイディアも出やすい。2人での対話は比較的得意である。

薬による治療を開始

友人がADHDの治療で薬の投与をしているというので、気になって自分も試してみることにした。現在はアトモキセチンという薬を1日1錠とる生活をしている。この薬は神経の昂りを抑える働きがあるようだ。

普段は頭の中で永遠に連想ゲームを行なっているような感覚だ。目に入ってくる情報に次から次へと関心が奪われ、思考が飛ぶ。ボーとしているように見えて、頭の中ではずっと何かを考え続けている。

摂取してみると、頭の中がクリアになった感覚がある。余計な思考の連想が起きないし、頭の中に無意味なテキストが思い浮かばない。目の前のやるべきことにしっかりフォーカスできる感覚がある。

普通の人の脳がこれほど整理されているのかと驚いたし、いかに自分の脳は特殊だったのか感覚的に理解できたのはよかった。

副作用としては、まだ体が薬に慣れていないために、薬が効くまでの間の2時間程度、軽い吐き気、眠気を感じる時がある。効いてくると不快な感覚は消える。

薬に対する不安

薬そのものに対する不安と、薬によってADHDの良さが消えてしまうのではないかという不安の2つがある。

カフェインのように薬に体が慣れてしまって、多量に摂取しないと効かないようになってしまうのではないか、また、薬によって他の箇所に不調が出てくるのではないか、という心配がある。

また、薬によってADHDの良さでもある衝動性が消え、行動力が弱くなったり、クリエイティビティが損なわれるのではないかという不安がある。

アートやデザインや起業など、クリエティブに対する欲求というのは、社会に対する不満の表現の方法として発露してくる部分がある。ADHDは社会の中で自分の欲求を抑えなければいけない場面が多く、社会に対して抑圧されている感覚を抱く。その不満が表現のモチベーションになっている面がある。

ADHDの衝動性との付き合い方については、生まれて25年の歳月でかなり理解しており、薬なしでもよいかもしれないが、過集中による躁鬱の問題もある。気分が高まるのは良いとしても、落ち込みはなんとかしたいという思いがある。これはADHDそのものというより、双極性障害との合併症とも言える。

さいわいこの薬はいつでもやめることができるので、しばらく実験的に続けてみようと思っている。

発達障がいを包摂する社会を目指して

日本社会をおおう閉塞感が続き、それを打破するために最近では企業も盛んにイノベーションを叫んでいる。「今や情報はどこでも手に入れられるので情報には価値がなく、行動できるかどうかが全て」などの言説がはやったり、今までの枠組みから外れて新しい取り組みや起業をすることが推進されている。

私はADHDやASD(自閉症スペクトラム)などの、脳の働きが普通と違う人こそが、このイノベーション人材だと思っている。

普通の人とは違って、リスクを果敢に引き受けることができるからこそ、様々な失敗を経験し、学んで、それを社会に活かして人類史を構築してきた歴史がある。普通の人なら食べないようなキノコを「それでも俺は食べてやるぜ」という人たちがいたからこそ、食べられるキノコがわかり、電球が生まれ、空飛ぶ乗り物が生まれてきたのだ。固体的生存確率が上がることで、社会的生存確率も上がってきた。

イノベーション人材のもう一つの特徴は、現状の社会のあり方に馴染めず、自分たちなりの新しいオルタナティブを作り出そうとする欲求があることである。

社会的なトレンドもあってADHD・ASDなどの人材が活躍できる場は増えてきたと思う一方で、まだまだだなと感じることも多い。ダイバーシティ・インクルージョンが強い社会を作るという考え方は当たり前になりつつあるが、現実はまだ遠い。

給料を上げたければ、生産性を上げなければいけない。生産性を上げるのはイノベーションであり、イノベーションはADHDやASDといった特質を持つ人々からもたらされるのだ。

ADHD・ASDの脳は車で例えればフェラーリのようなじゃじゃ馬だ。細かいステアリングは苦手だし、エンストすることもある。しかし、整備された道なら時速300キロを出せるエンジンを持っている。健常な人々にはその道を整理していただけると大変ありがたい。

企業や日本社会は、イノベーションの果実のみを手に入れようとするのではなく、そうした人材が持つ弱みの部分も受け入れなければいけない。多様な働き方を許し、管理しやすい人格ではない人々を受け入れなければいけない。

それが、失われた30年を打破する方法であると思っている。

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