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佐藤可士和展で感じた違和感。佐藤可士和は現代のミケランジェロ?

新国立美術館で開かれた佐藤可士和展に行ってきた。終了1時間前でも入場に20分待ちの人気っぷりだった。

佐藤可士和は、現代を代表するクリエイティブディレクター、グラフィックデザイナーで、ユニクロやセブンイレブン、Tポイントなどの名だたる企業のブランディングやロゴデザインをしたことで知られる。

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この展示会はそうした彼の仕事の集大成で、彼の仕事の緻密さや、一つのブランドができるまでの背景プロセスを伺い知ることができた。

彼が才能のあるデザイナーであることは間違いないように見えた。しかし、アートの歴史を系譜的に見ると、彼は単なる優秀なデザイナーを超えた存在に思えてくる。

ブランドは宗教

ブランドとは、企業の価値観のことである。ブランドが企業の価値観であるなら、それは宗教や政治のイデオロギーと大差ない。

そしてマーケティングとは、「ブランドの価値観」を消費者に伝えるコミュニケーションであり、宗教においてはフランシスコ・ザビエルのような伝道師的役割である。

ブランドの価値観を一目であらわすシンボルであるロゴは、キリスト教における十字架だし、ブランドを表現するデザインは教会のステンドグラスである。

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佐藤可士和の役割は、企業の価値観を引き出して言語化し、ロゴやパッケージのデザインによってその価値観を表現し、さらにマーケティングプロモーションを通して、その価値観を消費者に伝える。

さながら、現代の伝道師や宗教画家のようだ。あるいは宗教コンサルタントといってもいいかもしれない。

そうしてみると、彼が単なるグラフィックデザイナーではなく、教皇クレメンス7世に依頼されて「最後の審判」を書いたミケランジェロのような、現代の象徴的な存在であると思えてくる。

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おもしろいのは、彼がユニクロでもセブンイレブンでもなんでもプロデュースすることで、宗教に例えれば、カトリックでもプロテスタントでも、浄土真宗でも、なんでもやっている様なものだ。

宗教とブランドの比較

(蛇足だが、宗教の脱宗教化のようなトレンドも興味深い。修行のための瞑想から禅の思想を捨てさり、瞑想の科学的効果にのみ着目したマインドフルネスのような現象から、資本主義に合わせて宗教側も変化しているように見える。)

宗教や政治の話題は極端に避けるのに、企業ブランドは好んで取り入れる私たち

現代の日本人は、政治や宗教の話題は極端に避ける。単に、一人一人違った考え方を持っていて話題にすると対立を産むからというだけではなく、政治や宗教そのものを色がついた偏ったものだとして忌避する。

ところが、佐藤可士和展は行列ができる人気っぷりだった。AppleとAndroid、どちらのスマホがいいかはためらいなく話す。人々は企業ブランドが政治や宗教と大差ないイデオロギーであることに無自覚なようだ。自分が選んでいるものだけは無味無色で、なんのイデオロギーにも染まっていないと、疑いを持たずに(ドグマ的に)信じている。

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すべてセブンイレブンの商品!

企業ブランドそのものを、宗教や政治のように避けるべきだと言っているわけではない。僕にも応援したい好きなブランドはある。

内面化された企業ブランドに対する信仰も、宗教や政治と同列であると考えて相対化して見る視点を持ちたいし、宗教や政治的な問題に対しても企業ブランドに対するのと同じくらい意識的であるべきだ。今後、ブランドを作ることがあれば、ブランドの役割についても意識的でありたい。ブランドを作るとは、一つの宗教を作ることと同義だ。

逆に言えば、本当に優れたブランドを作るためには、その会社のスタッフも、会社の価値観を徹底的に信じて内面化する必要がある。そうしなければ強いブランドは生まれない。金をふんだんに使って装飾の美しさだけをこだわるような宗教は腐敗する。

そんなことを思った展示だった。5月10日までやってるみたいなので、ぜひ。


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