見出し画像

長岡高専の後輩達に送った手紙

メモ帳を整理していたら、数年前に母校である長岡高専の後輩達に向けて書いた手紙が出てきた。読んでみたら結構恥ずかしい内容だったけれど、せっかくなのでnoteで公開してみることにしました。

そもそもなんのために書いた手紙か?

2017年の9月に、母校で「特別講演」ということで呼んでもらいました。講演テーマは「高専生のときに知っておきたかったこと」。大講義室いっぱいに集まった後輩達に向けて、たしか1時間ほどプレゼンをしました。

そのときに、「母校で特別講演といえばスティーブ・ジョブズの感動の手紙だよな」となぜか思い立ち、自分も真似して手紙でも書いてみるかとなったのです。笑
一通りプレゼンを終えた後に、一番最後に手紙を読んだのですが、自分自身読んでいて泣きそうになった記憶があります。
プレゼンで話すためのメモも残っていたのですが、こんな流れで手紙を読み始めた模様。

今日は母校での特別講演なので、いつもの講演ではやらないことを特別にやろうと思います。
それは、あえてスライドを使わずに、言葉だけで伝えるということです。
君たちのために、手紙を書いてきたので、真剣に聞いてもらえると、とても嬉しいです。

それでは、もし良ければ読んでみてください!(特に高専生は!)

「長岡高専の後輩たちへ」

今から、3つの話をします。少しでも君たちのためになればと、想いを込めて手紙を書いたので、聞いてください。

1つ目は、「夢」に関する話です。

テーマ1:「夢を見失っても、また新たに創れば良いんだ。」

僕は、ゲームがつくりたくって高専に入りました。中学生のときに初めてC言語の本を買って、人より一足先にプログラムができるようになってやると意気込んでいました。初めてのif文、for文、とてもうきうきしていました。
でも、現実は理想と違いました。思っていたよりも、ゲームを創れるようになるなんて、遠い道のりだということ。そして、いざ高専に入ってみると、自分では到底追いつけそうにない才能溢れる人たちがいたこと。
僕は、ゲームプログラマーになるという夢を諦めました。夏休みに1ヶ月バイトをしてお金を貯めて買ったパソコンも、ただ音楽を聞いたりレポートを書くだけのマシンになっていました。
でも、代わりに得たものがあります。それは、寮やクラスで出会った、かけがえのない友達です。
そして、そんな仲間たちと寮生活や学校行事などに打ち込んでいるうちに、また新しい夢ができました。それが、大好きな仲間たちと会社を創ることであり、今まさにやっていることです。
だから、もし君たちの中に、入学前とギャップを感じてやる気をなくしてしまっている人がいたら、こう伝えたいです。

「大丈夫、前を向いて頑張ってもがけば、きっとまた新しい夢は見つかる。そしてそれは、以前思っていたよりも、もっと君にぴったりの夢だ。」と。


2つ目の話です。2つ目は、「友」に関する話です。

テーマ2:「自分という存在は、同じ場所で時を過ごした仲間たちの集合体である。」

先ほど、僕にも夢を見失っていた時期があるという話をしました。そして、それを救ってくれたのは、他ならぬ友達、仲間であると言いました。これについてもっと詳細に話します。
僕は、正直言って勉強があまり好きではありませんでした。だから、中学卒業後にそのまま普通高校という道を選ばず、少しでも面白そうな授業がある高専を選びました。
でも、ゲームプログラマーになるという夢を見失った後、高専の授業すら全くやる気が起きない時期がありました。テスト期間に漫画を読んだり、人の勉強の邪魔をしたりしていた、クズ野郎でした。
そんな時、電気電子システム工学科の酒井渉くんという同級生が、僕の人生を変えてくれました。
彼は、イケメンで一見チャラそうなのに、テスト期間になると寮の自室にこもり、黙々と勉強をしていました。彼の机の上には、勉強のメモ書きをしたA4の紙が山のように積んであったのです。
それを見て僕は、素直に「カッコイイ」と思ったのです。僕はそれを真似して、ひたすら勉強をするようになりました。彼がいなかったら、今の僕はありません。
僕は彼から、「勉強をすることの格好良さ」を学んだのです。

もう一人、僕の人生を変えてくれた人がいます。それは、今の会社の共同創業者である、櫻井裕基くんです。
僕と彼は、2年生のときにとても仲が悪くなりました。それは、寮の指導方針が全く噛み合わなかったからです。僕は、自分の尊敬する先輩の影響もあって、後輩に対して厳しく接していました。そして、たまーにだけ、優しく接していました。一方彼は、基本的に優しい。全然怒らない。そんな彼を見て僕は、なんて甘いやつなんだ。と思っていました。
ところがある日、思い立って彼と朝まで語り明かすことにしました。お互いの思いをぶつけたのです。すると、アプローチの仕方こそ違えど、お互いに目指している方向(寮を良くしたいという想い)は一緒だということに気づいたのです。僕は厳しさの中に優しさを、彼は優しさの中に厳しさを混ぜていたのです。
そうしてお互いに分かりあって仲直りすると、今まで悪いところばかり気になっていた彼の素晴らしい面に気づいたのです。彼は、僕と違ってどんな人にも心優しく接する、包容力を持っていました。
僕は彼から、「包容力」を学んだのです。
今では彼は、共同創業者であり、かけがえのない一生の親友です。

他にも僕の人生を変えた友はたくさんいるのですが、もう一人だけ紹介させてください。
物質工学科の同級生で寮生活を共にし、大学編入でも筑波大学で一緒だった、坂井優介くんです。
彼とは高専・大学合わせて7年間も同じ学校にいたのですが、それ以上に特別な関係があります。それは、私が創業したフラーという会社の、社名の由来となった人物だということです。
フラーという社名は、フラーレンという、炭素が60個集まってできた分子構造(C60)から来ています。フラーレンは、とても強固で安定した構造なのですが、色々な化学物質と柔軟に反応するという、「安定と柔軟」という相反する要素を持っています。ベンチャー企業なので、まずはしっかりと壊れにくい強いチームをつくる。だけれども、もし大きくなってしまっても、いわゆる大企業病にならずにいつまでもチャレンジし続ける柔軟な組織にしたいという思いが込められています。
私がもともとソニーが好きだったので、カタカナ2文字に伸ばし棒を足した覚えやすい名前にしたかったのですが、社名を考える際にふとこの「フラーレン」というものが頭に浮かんだのです。
なぜならば、先ほど紹介した坂井くんに、毎日のようにフラーレンの研究の話を聞かされていたからです。私は化学系ではないので、彼がフラーレンについて熱く語るのを「こいつ、フラーレンフラーレンってうるせえな」と思っていたのですが、社名を考えることになった際に、そういえば「フラーレン」っていいな!と思い、この会社が出来上がりました。
そう、僕は彼から、「フラーレン」を学んだのです。
今でも彼は、ロゴを変える際に相談に乗ってもらったり、くだらない質問をするために電話をかけたりできる、大切な親友です。

さて、今話した3名の親友たちと、その他たくさんの、自分の人生を変えてくれた友たちに感謝の気持ちを込めて、君たちへのメッセージへと変えさせていただきます。

「友を、大事にしてください。出会いを、決して無駄にしないでください。」

僕は、今日まで出会ったかけがえのない友が一人でもかけていたら、今の僕ではなかったです。会社も立ち上げていなかっただろうし、ここまで来ることもできなかった。1ピースでもかけていたら、こんなに幸せな人生には、間違いなくなっていなかったです。
「だから君たちも、今周りにいる仲間を、大事に、大事に生きてください。」


最後に、3つ目の話です。3つ目は、人生に関する話です。

テーマ3:「一度きりの人生、馬鹿みたいに夢を追いかけて生きて良いんだよ。」

先ほど紹介できなかった人物の中に、同じクラスだった、和久井直樹くんという人物がいます。
彼と僕は、高専時代によく、テストの点数やTOEICの点数を競い合っていました。彼に勝ちたくて頑張って英語を勉強したのが、今に活きています。僕と彼は高専時代、まさにライバルでしたが、それは卒業して9年が経とうとする今も変わっていません。
和久井君は、電子制御工学科から進路変更をして東工大の生物系に編入をしたのですが、今でもよく覚えていることがあります。彼は僕の隣の席で、授業中に全く関係のない「THE CELL」という本をよく読んでいました。それを見て僕は、「なんかかっこいいな」と思い、対抗して経営の本を読んだりしていました。ある日、彼が言ったのです。「いつか渋谷がガンになった時に俺が治してあげるから、研究資金をたくさんくれ!」と。それに僕は、二つ返事で頷きました。「わかった。任せとけ!」
そしてさらに、僕らはこんな話もしました。「和久井はいつかノーベル化学賞か医学賞を取ってね。そしたら俺がノーベル平和賞取るから。」
こんな風に、10代の2人の高専生が馬鹿みたいな夢を語り合っていたわけですが、我々は今でも全く諦めていません。僕らは本当にたまにしか連絡を取り合わないのですが、お互いにそれぞれの道を歩んでいると信じています。
僕の方が仕事柄メディアに取り上げられることが多いので、さぞかし彼は悔しがっているでしょう。そんな彼が最近、「AIとスパコンで挑む新型医薬」というタイトルでメディアに取り上げられていたのを、僕は悔しく、そしてとても嬉しく見ていました。

話が長くなりましたが、こんな風に、馬鹿みたいに夢を追いかけて生きるのは、本当に楽しいです。
今日も講演の中でたくさんの夢を語ったと思いますが、どれも本気です。
僕はこれからも、一生夢を追いかけ続けるし、どんどん新しい夢を見つけ続けます。
そして、夢が叶ったという結果はもちろん、叶えるための過程・プロセスも楽しみ続けます。

ということで、君たちに3つ目のメッセージを伝えたいと思います。

「一度きりの人生です。後悔のないよう、勇気を持って、そして馬鹿みたいに、
 夢を追いかけ続けてください。夢を創り続けてください。夢を楽しんでください。」

そして、今日ここにお集まりの先生方にも、一つだけお願いがあります。
僕は、高専時代に本当に良い先生方に恵まれました。本当は皆さん一人一人のエピソードをお話ししたいのですが、今日は中でも特に僕が感謝している、外山茂弘先生の話をさせてください。
僕は学生時代、外山先生の教官室によく遊びに行っていました。ある日、外山先生が寮の宿直をしている時の話です。僕は、深夜に宿直室に話をしに行きました。
僕がいつも友達に話すように、馬鹿みたいに将来の夢の話をしていると、外山先生は「うんうん、そうかー。渋谷はすごいなぁ。頑張れよ。」と、本当に素直に僕の夢を応援してくれました。
生意気なこともたくさん言ったはずなのに、何一つ否定をせず、応援してくれたのです。
こうして応援をしてくれる先生がいたからこそ、僕は自分の夢や考えに自信を持つことができました。あの時あの対応をしてくれていなかったら、僕は今日こうしてここに立って話をしていないかもしれません。外山先生、本当にありがとうございました。

さて、先生方へのお願いですが、非常にシンプルなものです。

「学生の夢を、応援してあげてください。学生に、自信を持たせてあげてください。」

最後になりましたが、今日こうしてここに集まって、最後まで話を聞いてくれて、みなさんどうもありがとう。今日の話が、少しでも明日からの皆さんの人生を変えることになれば、これ以上の喜びはありません。そしてそれが、高専時代にお世話になった友達や先生方への、僕ができる最大限の恩返しだと信じています。

最後に一言だけ言葉を残して、この講演を締めくくりたいと思います。
「高専生には、夢がある。」
ありがとうございました。

2017年9月25日 長岡高専卒業生 渋谷 修太

改めて自分の書いた手紙を振り返って

なんだか、数年前の手紙なのに、案外色褪せていないなと思いました。それは、本当に伝えたかったことや普遍的な感謝の気持ちを伝えたからだと思います。

後日談的な話ですが、実は手紙の中に出てくる和久井くんは、今年から母校で先生をやっています。(まさかあいつが先生になる日が来るとは・・・)
これからまた一緒に馬鹿なことができそうで、とても楽しみ。

最後になりますが、Twitterでもよく高専ネタ・故郷ネタなどをつぶやいてるので、良かったらフォローしてくださーい!


サポートいただいたお金は、母校である高専や故郷の新潟など、後世や地域のために活用したいと思います。 よろしくお願いいたします!