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10年に1度、人生で大事な決断をしよう。(33歳になりました)

本日2021年9月15日、33歳の誕生日を迎えました。ゾロ目なのでテンションが上がります。
ちなみに33といえばアルビレックス新潟の高木選手の背番号ですね。ヴェルディ戦の神ユニは家宝です。

さて、本題に。

今回のnoteでは、10年前と20年前に自分が何をしていたのかを振り返って、そしてそれに比べて今の自分はどうなのか?と自問自答してみることにしました。

20年前は、ただの中学生だった。

20年前というと、2001年。この時の自分が何をしていたのかは、結構明確に覚えている。
誕生日を迎える少し前の9月11日、世界を驚愕させた事件(9.11)が起こった。
あの朝僕は、ただの中学生として、普通に朝ごはんを食べていた。テレビで衝撃なニュースがバンバン流れてくる。
ビルに飛行機が突っこんでいる。流石に中学生でも大変なことが起こったことは分かった。
しかし、まだ一度も日本から(というか新潟から)出たことがない自分にとって、遠いアメリカという国のニューヨークという場所で起きている出来事は、なんだか全く別の世界のことのように思えた。
自分が何をできるわけでもない。なぜそんなことが起きているのかも分からない。そしてアメリカなんて、海外なんて、いつ行けることになるかも分からない。それくらい遠い出来事だった。大人になるということすら、13歳の自分には遠い未来だった。

20年後の自分からしたら、どうだろう。
あの頃の自分では想像できなかったほど、起業家という仕事を始めてからたくさんの国を訪れた。
アメリカはもちろん、イギリス、スペイン、韓国、中国、台湾、シンガポール・・・ニューヨークにも何度か訪れたことがある。
ワールドトレードセンター跡地にも行った。

中学生だった頃よりも、明らかに自分の中で世界というものが近くにあると感じるようになった。
最近はコロナ禍でめっきり海外に行くこともなくなってしまった。早く世界がまた繋がって、色んな国に行けるようになることを心から願っている。
今の中学生は、新型ウイルスに対してどう感じているのだろうか?自分には想像できないけれど、1つだけ確信していることがある。
きっと彼ら彼女らは、20年後にもその当時のことを覚えているはずだと。それくらい衝撃的な出来事の最中に我々はいるのだろう。

10年前は、まだ何者でもなかった。

僕が創業したフラーの創業日は、2011年の11月15日。ということは、9月15日時点ではまだ起業家ではなかった。
昔の写真を見返すとわかるが、これから一緒に創業することになるメンバーたちと合宿をしたり、登記の準備をしたりしていた。
なんの事業をするかも決まっていなかった。これから先何が起こるのかも全く分かっていなかった。
ただ、不思議なことに不安はそこまでなかった。というより、ただただワクワクしていて、きっと不安もあったんだろうけど、おそらくハイになっていたのだと思う。今振り返ると、よく自分はあんな何もない状態で起業するという決断をできたなと感心する。

33歳の自分にとっては、あの時の決断の仕方は恐ろしく感じる。なんの確証もない。ロジックもない。
あったのは根拠のない自信だけ。正確にいうと、まぁなんとかなるさと思っていただけで、自信があったというのも違うかもしれない。
人はよく、若い時の失敗を「若気の至り」と表現する。でも僕は、「若かったからこそできた決断」というものが確実にあったように思う。だから、自分より若い人の決断を後押ししてあげたいという気持ちが強い。今やっている起業家支援や高専生をはじめ学生への支援なども、きっとこの想いからスタートしているのだろう。

これまでの人生で自分を褒めてあげたい2つの決断

上述したように、20年前の自分はただの中学生。そして10年前の自分はまだ何者でもない。
そんな自分が、23歳で起業して、もうすぐ10周年。4人ではじめた会社も、今では100人を超えている。
いわゆる「起業家」という生き方をするようになったわけだ。

なぜそうなったのか?そこに至るまでの過程は色々あるが、シンプルにまとめるとたった2つの決断から全ては決まったように思える。

1つ目は、「高専に進学する」という選択をしたこと。

ほとんどの人は、中学校卒業後に普通高校にいく。高専を選ぶなんて1%も満たない。
でも僕は、高専という選択をした。その選択はその後の人生にずっと影響を与えている。

以前バズったツイートにも書いたが、「自分の興味のある分野に進む」という意思決定を10代前半で行ったことは非常に良かった。
そのおかげで自分は、「テクノロジー」というものとずっと関わる人生になったのだ。

2つ目は、「起業をする」という選択をしたこと。

これも当たり前だが、ほとんどの人は起業家になんてならない。将来起業したいという人は多いが、実際に起業に踏み切る人間はごく僅かである。
10年前に起業家になるという選択をしていなかったら、今の自分は当然存在していない。そしてなんとなく分かっていることは、起業が失敗していようとしていなかろうと、きっとその選択をして良かったと思ったはずだ。
むしろ、起業したいと少しでも思ったのに色んな理由をつけてやっていなかったとしたら、それは確実に後悔していたと思う。

大事なことなので繰り返し書いておく。

33歳になった今日までで、自分の人生の大部分を形作ったのは、このたった2つの選択だったということだ。

3つ目の重要な決断は、既にしている。

20年前の高専進学という決断、10年前の起業という決断。では今の自分はどうなのか?それくらいの決断をしているのか?
自分の中では、それは去年した故郷への移住という決断だったように思う。

移住をきっかけに、人生が本当に変わった。付き合う人、時間の使い方、趣味、考え方、本当に全てが変わった。
そして今のところ、すでに人生において最良の選択だったように感じている。

いや、そうじゃない。

人生において最良の選択にするんだ。しなきゃいけないんだ。
43歳になったときに、30年前、20年前と比較して、10年前の決断も見劣りしないように。
それどころか、やっぱり30代の決断が人生の中でも最も重要だったよねとなるように。

ある決断が人生において大きなものだとなるかどうかは、結局は自分次第。
人生には決して後戻りできない決断というものが何度かある。
それをなんとかして最高のものにしていくしかないんだ。

「高専に行って、起業して、移住した渋谷さんって人ね」とちゃんとなるように、それら選択が正しかったと思えるように、また一年頑張ろうじゃないか。

10年に1度、人生で大事な決断をしよう。

不思議なことに、10年というのは人間にとって区切りが良いらしい。
1年計画は短期的、3-5年計画は中期的だが、10年というと長期計画のように感じる。

「創造的な人生の持ち時間は10年だ。」

そう宮崎駿さんも言っていた。この言葉はとても好きだ。

この文章を読んだ皆さんは、どうだろうか?良かったら10年単位で人生を振り返るきっかけにしてみてほしい。

そして、強くオススメしたいことがこの文章のタイトルだ。

「10年に1度、人生で大事な決断をしよう。」

人生初の書籍を出版し、それを学生たちに配ります!

33歳の誕生日の今日、人生初となるクラウドファンディングを公開した。
自身の今までの人生をまとめ(高専・起業・移住など)るのに、ちょうど良いタイミングだと判断したからだ。
今回のnoteで書いたような決断に至った背景や、その後の喜びや苦悩や楽しさや葛藤なども赤裸々に記す予定だ。

書籍のメインテーマは、「友達」だ。
この本の序章は、今から20年前、12歳の時に感じていた苦悩というかコンプレックスのようなものから始まる。
僕は小学校6年生の時に、親の仕事の都合で転校をしている。大好きだった友達と卒業目前で離れ離れになったのだ。ちなみにそれまでも、引越しを何度か経験している。
12歳のときに自分が心に誓ったのは、「もう友達と離れ離れにならないようにする」ことだった。そのためには、自分で一緒に働く人を決めて、自分の住む場所は自分で決めるということが重要だった。それを叶える手段として、起業は最適だった。なんなら高専を選んだのも、寮に入れば友達とずっと一緒に過ごせると思ったのも大きい。

だから僕は、「大好きな仲間とずっと一緒に居るために、会社を創った。」
でも、これはそんなに簡単なことではない。いや、正直非常に難しい挑戦だった。それも包み隠さず書くつもりだ。

この本は、特に高専生をはじめとした学生たちに読んでもらいたい
なぜなら、自分自身が中学生の時に高専に進もうと思ったのも本を読んだのがきっかけだし、高専時代に起業を志したのも1冊の書籍がきっかけだからだ。
若い時に出逢う1冊の本は、人生を変えるパワーがある。だから今度は、自分がそのきっかけを創る側になってあげたいと思ったのだ。

※詳細はこちらのクラウドファンディングのページを読んでいただけるとありがたいです!

せっかくならばできるだけ多くの学生たちに配りたいと思っていますので、誕生日プレゼント代わりに、ご支援よろしくお願いいたします!!
(すでに公開初日でもうすぐ100万円突破しそうで、泣くほど嬉しいです!)

2021年9月15日
渋谷 修太(33歳になりました)

サポートいただいたお金は、母校である高専や故郷の新潟など、後世や地域のために活用したいと思います。 よろしくお願いいたします!