No.169 鳥山明雑感

0. はじめに

 鳥山明の訃報が, 文字通り世界を駆け巡り, 多くの人が衝撃を受けた. 私もその例に埋もれなかったので, この機会に鳥山明についての個人的雑感を簡単に述べる.

1. 漫画における功績

 鳥山明の漫画論や功績に関しては, 無限に多くの人が無限に語っているので, ここでは, あくまで個人的な見解かつあまり言及されていないと感じる topic に絞って述べる. 

 一言で言えば, 鳥山明の漫画における功績とは

『漫画に「デザイン」という思想と方法を持ち込み, 実践した(更にはそれにより大きな成功を収め, その有用性を広く知らしめた)』

ということに尽きると思う. 手塚治虫以後, ある意味

『映画的, 映像的演出を如何にするか?』

という価値観, 問題意識だった漫画に, 「デザイン」を持ち込んだ(引き戻した)ということ. 

 これで

『「デザイン」とは何か?』

を論じだすと, これだけで別の note が必要になるので, 詳述は避け, ここでは「アレンジメント」(文字通りの「配置」の意も, 日本語的ニュアンスの「アレンジ」も含める)と言い換えるにとどめる. そしてそれを可能にしたのが, 鳥山明の文字通り「次元」が違う画力である. これは本当に色々な意味で「次元」が違う(平面的と立体的, あるいはそれをも越えた更に高次元的な情報)のであり, 既に巷間でも多くを見聞きすることが多くなったので, ここではそれを繰り返すことはしない. 

 思うに鳥山明が単に画力とセンスが高いだけの漫画家であったならば, これほどのことはなさなかったこと思う. 彼が真に偉大であったのは, その次元が違う画力でもって,

『漫画で「デザイン」をなしたこと』

そして

『それにより劇的成功を収め, その思想と方法の有用性を広く知らしめたこと』

にこそあったと感じる. 少なくとも鳥山明以前と以後で語る上でこのポイントを外すことはできないはずであり, 彼が漫画において成した功績としてはこれが最も大きいと思う.

 これに関しては, 彼の作品そのものよりも, 「ドラゴンクエスト」や「クロノトリガー」のデザイン(!)の方がその意がよく理解できるかもしれない. 恐らく, かの国民的RPGも, 鳥山明無しにはあれほどの成功を収めることは無かったのだから(それは当時の彼の知名度によるもの以上の貢献がなされていたと感じる). 

2. 個人的なあれこれ

 個人的な話を少し. 実は鳥山明は私にとっては文字通りの意味で特別な, それは喩えるならば正に「神」の如き, 存在である. というのも, 私の両親の馴れ初めに深くかかわっているからである. 今を遡ること40年以上前, 夏休みに一人旅をしていた大学生の母は, 忌引きで帰郷していた大学生の父ととある電車で席が隣り合った. 母親はその時「Dr.スランプ」を読んでおり, ゲラゲラ笑っていたらしいのだが, それが気になって父が母に声をかけ, 知り合ったのだという. 

 そういうわけで「Dr.スランプ」が無かったとしたら, 両親が出会い, 結婚することももしかしたら無かったかもしれない. これこそ正に以前の無名人インタビュー

https://note.com/unknowninterview/n/n93b995b17a25

でも述べている

「数奇な運命に導かれるがごとく」

の一番最初の例の一つと言えるかもしれない. 

 私個人が鳥山明を認識したのは, やはり「ドラゴンボール」なのだが, 当時本編(水曜19時フジ枠)でやっていた「Z」よりむしろ, 夕方の再放送でやっていた「無印」の方が強く印象に残っている. 当時は曽祖父が病院に入院していて, それで学校が終わってから(スイミングとそろばんの無い日は)病院に行って, 夕方に病院のテレビ(あの頃は小さかった)でみた「ドラゴンボール」をよく覚えている. あの頃は犬の散歩も兼ねて, 病院に行ったんだっけ. 田舎の病院だったから, 端の柵の方に犬を縛り付けておいて(カワイソウ…), 「ドラゴンボール」を夢中で観ていたと思う(最初に観た時, ブルー将軍が悟空達をお追いかけていた場面だった気がする). 

 「ドラクエ」で鳥山明を認識したのはその後で, 「クロノトリガー」の頃は「ドラゴンボール」の末期で, 個人的には鳥山明のセンスが頂点に達した時代だったと思う. そういう意味では彼のキャリアで最も active だった90年代前半に生にアレに触れられたのは, 他の多くの経験と併せて, 得難い経験だったと思う. 

3. 鳥山明批判

 さて, 鳥山明を称えるコメントは無限に(特に今は)溢れて食傷気味なので, 批判を書く. ここまで書いてきておいてなんだが, 正直私は, 鳥山明に関しては批判することの方が多かったと思う. それは

・彼を評価していたこと
・「ドラゴンボール」が(正確には「ドラゴンボール商法」が)好きではないこと

が大きい. 

 あえて言うが, 彼は95年に「ドラゴンボール」終了以後, 少なくとも漫画に於いて大した仕事をしていない. 無論, 95年以後も彼はもっと色々やりたかっただろうし, また実際できる仕事も, やるべき仕事もあったと思うが, 結局その多くはなされないままである(そして終ぞなされないままに終わってしまった)ことに対して, 私は折に触れて批判してきた. で, その原因の最たるものが(鳥山明自身も度々ほのめかしてはいたが)「ドラゴンボール」と「ドラゴンボール商法」であったことは間違いない. 

 ただ他方で「ドラゴンボール」とその(息の長い)「商法」に関しての功績というものもイヤでも認めざるをえない. 恐らく, 日本の漫画やアニメを今日のように世界レベルで波及させたことに関して, これらがどれほど貢献してきたのかは計り知れない. ある人も言っていたが, それこそ新時代の「宗教」とその「経典」のようにも思える. 

 結局のところ, 鳥山明の成した貢献度として,

「鳥山明自身の作品を成すこと」

と,

「Japan subculture や Japanimation のアイコン, シンボルとしての役割を果たすこと」

のどちらを取ったかということである. で, 彼は後半生において, 彼自身が好むと好まざるとに関わらず, 後者を選択せざるを無かったわけだが, 私はそれを手放しでは喜べない. 何故なら後者は最悪鳥山明以外の別の誰かでも果たすことはできたかもしれない(それでも「ドラゴンボール」ほどの知名度と影響力は難しかったと思うが)が, 前者に関しては鳥山明にしかできなかったからである. 

 それで昨年の夏に例の「SAND LAND」(これでいいのだ by 鳥山明)

を観て, 

「ああ, 鳥山明は晩年期に, 80年代の原点回帰した鳥山ワールドを作ろうとしているのかもしれない(今回の「SAND LAND」はその先駆け的作品と位置付けるべきかもしれない)」

と思い, 今後を楽しみにしていた矢先の今回の訃報だったので, 堀井雄二ではないが, 「お疲れ様です」よりも先に「残念でならない」が出てきてしまった.

 「ドラゴンボール」の連載が1984だったということを昨日聞いて, 

「ああ, これもまた「1984」か」

と思い, 師匠達が常々口にしている

「疾風怒濤の80年代に置き忘れてきてしまってそのままのものがまだまだたくさんある」

ということをここでも感じざるをない. ただ同時に今回の鳥山明ショックやそれにまつわる諸々の事象を通じて, 

『「80年代の鳥山ワールド」という極めて魅惑的かつ未開拓な命題に挑む新世代の若者達がそのうち現れてくるのではないか』

という仄かな期待も胸に抱いている(そうでもしないと救いがない). 

4. 最後に

 私も歳を取ったとはいえ, まだ若い部類だから, こういうイベントは人生で何度も経験していくと思うが, それでも確かに鳥山明は

「まだずっと居てくれる(居て欲しい)」

という感覚があったので, 衝撃が大きい. ご同業で私より近しい人達の衝撃はその私の比ではないだろう. 

 しかし, なんと偉大な作家であったか. 亡くなって改めて我々の彼に対する「偉大さ」の認識そのものが間違っていたことを思い知らされる. 何せ, Twitter をサッと眺めるだけで

「え? あの人も, この人もこんな形で鳥山明と関係があったんだ!」

ということが無限に出てきて, その都度驚く. 更には国も, 人種も, 宗教をも越え, あらゆる人があらゆる形で追悼する様をみれば, 古今東西において, こんなこと鳥山明以外には成立しないかもしれない(それ以外の人では, 国, あるいは人種や宗教をこんなにも易々と越える事はできないだろう). 何せ, たとえば漫画の神様手塚治虫でさえ, 日本を出れば「Who?」(知る人ぞ知る)という人の方が多いのだろうから. 他方, 50代以下20代(あるいは)以上において, 世界で「ドラゴンボール」や鳥山明を知らない人間を見つけてくる方が難しいのではないか. 

 真に驚くべきは, かようなまでに偉大な人物のこれほどまでの「偉大さ」を, 亡くなるまで誰一人想像することができず, そして亡くなった後では万人がその「偉大さ」を納得せざるを得ないという事実である. 恐らく私を含め彼を知る万人(億人)が亡くなった後で実感した鳥山明の「偉大さ」は, 生前に各人が感じていた「偉大さ」を上回ったことだろう.

 私は鳥山明本人に会ったことはないが, 上述した私の出自にまつわる話と併せて, 本当に「神」のような人物だったのではないかと思わざるをない. そして実際, 今後は本物の神になって, また我々を愉快で, 摩訶不思議な世界へといつまでも誘ってくれるに違いない.

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