No.170 ベルダンディーに聞きたいこと

 20年くらい前にやっていた「ああっ 女神さまっ」のアニメの1期が2月の半ばから今日(3月16日)まで YouTube で何故か(完結から10周年記念とか?)無料公開されていたので, 1ヶ月かけて見直した. 

 かなり久しぶり(15年ぶりくらいかなぁ. 「戦う翼」の時に一回見直した気がする)ではあったが, 連載自体が昭和末から始まっていたこともあり, 今では色々古く感じた. というより20年前でさえもう古かったかもしれない. 当然今の若い子は色々わからんだろうな(今では諸々通じないことが多い). ある意味「ラブコメ」では古典の部類なのだろう. 

 「ああっ 女神さまっ」は『長期連載ものの「ラブコメ」』という特殊性もあってか, 螢一とベルダンディーの進展どうこうよりも(連載が長期化するとこれはどうでもよくなる), その周りの人間模様というか, 人情噺の方に力点が置かれる傾向があり, あまり「ラブコメ」が好きではない私も好きな作品だった. ベルダンディーが今では見る機会がかなり減ってしまった(たとえば平成では一時スクルド系のヒロインが幅を利かせていた時代もあった)正統派ヒロインであったことも大きい. 

 だから私でも, もし鏡から女神さまが現れたら

「君のような女神に, ずっとそばにいてほしい」

と言いたいこともなくはなかったかもしれない. いや, それは嘘だな. 私なら適当なこと(「真に必要とする人間の下に行け」等々)を言って早々に彼女にお帰り願っただろう. それこそ「裁きの門」ではないが(原作最終章も, 劇場版も正にこれがテーマだったが)

「人と神が近づきすぎるとロクなことがない」

からである. あるいは「最遊記」の観世音菩薩が言っていたように

「神はただ見ていればいい. 生きるために生れてきた者たちを」

という「思想」として「神」を捉えているから, このフレーズをそのまま彼女に返したかもしれない.  

 私がそんな(女神を必要としない)人間だからか, 女神さまが私の前に現れることはなく, 20年近い歳月が過ぎるうちに, そんな願いも望みもとうの昔に消え失せてしまった. ただそうなってなお, ベルダンディーに, かの女神に聞いてみたいことが一つある. それは

「人間の幸福を願う女神の幸福は何か?」

ということである. 森里ベルダンディーになった後は(「就活の女神さまっ」も完結したようだが)あるいは「螢一の幸福」と答えるのかもしれないが, ここではそれ以前のベルダンディーに対してこれを問うたとする. 

 そこで彼女は何と答えるか. 恐らく

「人間の幸福(そのもの)です」

と答えるだろう. 実際, あの作品における女神たちの活動の目的がそもそもそれであったことを考えれば, そう的外れではあるまい. で, その答えに対して, 私はこう返す:

「高々人間如きの幸福が, 女神の幸福にたる価値があるのかね?」

と. あの女神なら, 屈託なく

「はい」

と答えるだろう.

 ここまで問答を続ければ, 否応なく気付かされる. つまりは

「それこそが, あの作品における「神」という「思想」なのだ」

と. すなわち

「人間の(時に非常にささやかなで何気ない)幸福には, 至高の女神の幸福にたる価値があるのだ」

という「思想」, 「信仰」. 

 以前どこかに書いたように, 私もそういう神秘主義, ヒューマニズム的思想は好きではあるが, 業が深いので, 疑うこと無しにそれを信じることができない. つまりそのものに真に価値があるのであれば, 私がいくらそれを疑ったところでその価値は覆されないと考えている.

 逆にその過程を経ずして, その価値を信じることができない. 「人間の幸福」の価値もまた然り. ゆえに私は「人間の幸福」の価値を信じたいがために, それを疑い続けなければならない. それゆえにベルダンディーとは必然的に対立せざるを得ない(その意味では私は悪魔的, 魔族的人間なのだろう).

 ただ先月「ああっ 女神さまっ」の無料公開時に何話か見て, この問答を脳内で繰り広げてから寝たら, 10年前に亡くなった祖父の夢をみた. これは流石に衝撃的で, Twitter で思わず

とつぶやいてしまった. 女神を疑った罰か, 私には例の問答を脳内でやった直後に, ベルダンディーにこの夢を見せられて

「あなたは, あなた自身のこの懐かしい思い出(ささやかな日常, 幸せ)にも, 本当に価値がないと思いますか?」

問われ返されているような気がした. 

 そういえば彼女はああみえて, 存外負けず嫌いだったな. こちらがいくら言葉やロジックを重ねて「信仰」を否定しようとしても, こんな(悪魔顔負けの)ズルい手でアッサリそれを打ち負かしてくる. これをされては流石の私も認めぬわけにはいくまいよ. なるほど, 人間の幸福には(女神の幸福にたるかは知らんが)確かに価値はあるようだ. 

 それにそも人間の幸福に価値があろうが, なかろうが, それとは無関係に女神たちは人間の幸福を願っているらしい. なんと愚かで, なんと愛おしい. まるで無垢の少女のようだ(全くどちらが人で, どちらが神かわからなくなる). ならそんな女神の期待を, 願いを裏切るわけにはいくまい. ましてそれがベルダンディーによるものならば, なおのこと. 

 え? 「そんな女神さまなんてそもそもいないって?」. バカだなぁ. いなけりゃそれで終わりなんだから問題無し(『良かった… 女神はいねェのか. 何だァ… おれが騙されただけか』). 問題は本当にいた時, 彼女たちを裏切ることになるだろうってことで, それは仁義(あるいは神意?)に悖るってこと.

 何より仮に女神でなかったとしても, 自分の幸福を願う誰かを裏切るのは仁義に悖るってこと. 多分, 「ああっ 女神さまっ」の「思想」にはそれも入っているのだろう. すなわち

「誰かの幸福を願う様には神性が宿る」

という「思想」. 世界観や死生観とは別の, 宗教における根源は結局ここに帰着して, 神や女神はその象徴なのだろう(実際, 神話や伝承の中にもこうした事象を範例として, 昇華していったものがまま見受けられる感じがする). 

 それは当然目に見えないが, それこそ

「目にみえぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり」

だから, 「信仰」の有無によらず, それを裏切るのは(私が嫌いな)卑しい気がして, イヤなんだよね. 逆に言えば, それがあるから私は卑しい生き方をしないでやってこられたとも言える(少なくともこれまでは). これこそ正に「神の導き」か. 「信仰」心が薄い私に対しても「導き」を授けるのだから, どこまでもおせっかいで, お人よしの女神たちである. これは私ではかなわないハズだ. 20年経ってもそう. 多分, 死ぬまでそうなのだろう. そしてそれでいいのだと思う.

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