No.142 「ラグナクリムゾン」ノススメ

0. Abstract

 「ネタバレ無し版」と「ネタバレ有り版」の「ラグナクリムゾン」の評かつ宣伝文的なモノを書いてみる. 

1. 「ラグナクリムゾン」ノススメ(ネタバレ無し版)

 標語的に言えば, 「ラグナクリムゾン」とは


「ヨコオワールド」(DOD:7, NieR:3)に
「中二要素」をトッピングして
「ヒラコー風味」で
「バトルエンタテインメント」に仕上げた
「SF」

である. ゆえに, 以上で挙げた「要素」のいずれかに興味がある場合には是非手に取ってみることをお勧めする. 

 なお, 「ラグナクリムゾン」にはアニメもあるが, それは無視してよい. 

2. 「ラグナクリムゾン」ノススメ(ネタバレ有り版)

 Section 1 では「ネタバレ無し」で, 「ラグナクリムゾン」を端的に評し, 喧伝してみた. ここでは, 「ラグナクリムゾン」に限らず, 私の知るあらゆる要素の「ネタバレ」を解禁した上で, 評というよりは少し細かい解説をサッと述べてみる(上述の「標語」そのもの解説については, また別の note が一つ以上必要なので今回はこれ以上は触れない). 

 「ラグナクリムゾン」もといラグナを, 「Fate」のエミヤに比する見解がある. 小林大樹自身も1巻の表紙裏で

「某英霊大戦のアーチャー的な?」

と書いてはいるが, それはラグナと未来ラグナとの関係性を, 士郎とエミヤの関係性に比するという限定的なモノであり, 思想信条的にも行動様式的にもそれぞれが個別に対応しているというような意味はないと思う. 少なくとも, 本編のラグナが「Fate」本編(stay/night)の士郎と比するのはあまり正しくない. 強いて言えば, 「プリズマイリヤ」の美遊兄の士郎の方が本編よりもラグナに近いのではないか. 

 また「ラグナクリムゾン」の「バトルエンタテインメント」的側面(?)を強調してか, 「BLEACH」との対比をするケースもあるようだが, これらはかなり遠いと思う. 似て非なるもの(私に言わせれば「まるで別物」)と言ってよいだろう. 実際, Section 1 で述べたような『標語』は「BLEACH」には全く当てはまらない(そういえば, ヨコオタロウが一時期「ジャンプ漫画を読め」と言われて(?), 読んだのが『当時やっていた「BLEACH」と「ハンター×ハンター」だった』という類の逸話もあったような気がする).

 ここで「ネタバレ有り」で上述の『標語』で説明できていない「ラグナクリムゾン」の側面を一つ取り上げよう. それはラグナとクリムゾンの関係性である. これは初期の段階で言及されており, 私が「ラグナクリムゾン」の際立った特徴と一番最初に認識したことでもある. 

 それは第3話「物語の始まり」の最初の方のラグナの以下の独白である (ちなみにこの場面で独白がラグナからクリムゾンに自然にスイッチしており, この情報処理の仕方がまた極めて非凡な様式であることも, 私には非常に印象深かった):


未来のオレにとってクリムゾンは複雑だ
竜だから嫌いだったし
いずれ狩るつもりだった

だけど死んでほしくない人達がどんなに死んでいっても
クリムゾンは死ななかった

竜であるこいつが未来のオレと一番一緒に戦い続けたんだ

 これはつまり

『全てを失った未来ラグナに残された恐らく唯一の願い(「自分の周りの人に死なないで欲しい」)を叶えたのが, 人あらざる(それどころか宿敵の頭目たる)竜(王)であった』

ということである. 近頃の「ゴミなろう」だと, 普通はこういう設定では竜王様の方がアッと言う間に, なろう系主人公のハーレム要員に堕ちてしまう. あるいはもう少し由緒正しくても「ロミオとジュリエット」的な展開になりがちかもしれない(注:実際「ラグナクリムゾン」もそんな気がまるでないワケでもない. というのはラグナはともかく, クリムゾンの方は, ``演技''も多分にあるとはいえ, ラグナに「使える道具」以上の``執着''を見せる場面がチラホラ散見されるからである. 尤も, そこがまたこの作品に何とも言えない味わいと魅力を醸しだしているのだが).

 しかし, 当然(?)「ラグナクリムゾン」はそうはならない. そもそもこのラグナの独白から読み取れるラグナとクリムゾンの関係を一体何と呼べばよいのだろう. 「愛」や「恋」が論外だとしても, 「仲間」や「絆」なんて今やアカまみれの陳腐になってしまったフレーズであろうはずもない. 「hate and love」(いや, むしろ好きだな) or 「love and hate」(痛し痒し) でもない. 強いて言えば文字通りの

「(滅竜)同志(導士!)」

あたりだろうか. ある意味, 『「滅竜(の物語)」というただ一点においてのみ成立している「最も純粋な同志」』が一番近い気がする. 

 喩えるならば, このなんとも形容しがたい関係性こそ正に「ラグナクリムゾン」としか呼びようがないものであり, それがこの作品の大きな魅力となっている. 似たような事例として挙げるなら「うしおととら」がある意味それに近いと思う(「ハクメイとミコチ」は流石に違うなぁ). で, 藤田和日郎だと, ここに「熱」と「重さ」をドバドバ注いでから「勢い」で振り切って「物語」に昇華させるわけである. それが小林大樹だとどうなるのかを描いているのが, 「ラグナクリムゾン」とも言えるかもしれない. そして, そうであるがゆえに, この作品のタイトルは「ラグナクリムゾン」なのだ(無論, このタイトルにはそれ以外の意味も多分に含意されているのだろうが).

3. Introduction

 いつもなら, 「Introduction」は当然最初に書くのだが, 今回は構成を考えて後ろに持ってきた. 

『ならば「Introduction」ではなく「Concluding remarks」ではないか?』

と思うかもしれないが, 実際の執筆の段階ではこの「Introduction」を先に書いてから, 『「ラグナクリムゾン」ノススメ』を書いている. つまり「Intro」仕様で書かれている文章なので, 並び替えても「Intro」のままでここに載せる. 以下が, その Intro である. 

 最近, それなりの都会に住んでいる二十歳前の若い人100人くらいに少しだけ``聞き取り調査''をして, 「ラグナクリムゾン」の知名度を測ってみた. 結果は, 文字通り「惨憺たるもの」で, なんと誰も知らなかった. あの

「辛うじてマイナス点にはならなかった(ゴミアニメではなかった)」

という以上の価値は何もないアニメの出来の悪さ(本編の止め絵に声優の朗読劇を併せただけのシロモノをやった方が100万倍マシだっただろう. 無論, 今からでも遅くはない)を差し引いてなお, この結果は流石に衝撃的で

『世の人はここまで「ラグナクリムゾン」を知らないものか』

という現実を改めて思い知らされた.

 個人的には, 知り合いのマンガやアニメの(文字通りの)専門家であったとしても, 私が布教した人以外に「ラグナクリムゾン」を知っている人に出会ったことがなかったので, その意味では正しい. ただ, 普段は私の感覚と世間一般の感覚はズレている方が普通なので, 『「ラグナクリムゾン」も世の人は流石にもう少し知っているものだ』という認識だったのだが, 状況が私の近傍と大して違わないということは想像以上に深刻な事態だと思われる. どうりで一時小林大樹が Twitter で狂ったように(漫画の本編をまとめて投下してまで)宣伝していたワケである. 

 私はここ2年ほどは毎回「ラグナクリムゾン」の備忘録

を note に書いてはいるが, それはあくまで個人的な備忘録であり, 作品そのものの喧伝をしているわけではない. というより, 私は基本的に諸々の作品を分析すること, 更にごく偶に評価することがあったとしても, それ以上のことはしない. つまり, 作品の喧伝というものは基本的にはしない. 如何に素晴らしい作品であろうとも, それを受容するか否かは, そもそもそれを受容する機会, 縁に恵まれるか否かも含めて, 各人次第だと考えているからである. だから「ラグナクリムゾン」に関しても, 付き合いは長いし(5年以上), 毎回分析はするし, 時に「素晴らしい」と言うことはあっても, 喧伝したことはなかった.

 でも流石に今の状況はあまりよろしくない気がして(最悪, 小林大樹のモチベーションに関わってくる), 一応形だけでも私も喧伝すべきなのだろうと思い, ラグナクリムゾンが休載だった今月に, いつもの備忘録の代わりにコレを書くことにしたのである. 

 ただ, 私がいつもの調子で書いたとしても, pedantic というか, 褒めているんだか, 褒めていないんだかよくわからないシロモノしか出来上がらないだろうから, 結局何も「ラグナクリムゾン」の布教に貢献しないと思う. それでも少しでも貢献しようと,

1) 「ネタバレ無し」でサッと標語的に喧伝できる文章を短く仕上げる
2) それをゴチャゴチャ書いた Intro をスッ飛ばして冒頭に持ってくる
3) 更にその補足的に「ネタバレ有り」の解説を付ける

といった微力を尽くしてみた次第である.

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