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~旅のマイルール~「正露丸を捨てよ、旅に出よう」


(1)正露丸は、お守りだった

私が学生の頃、人生初めての海外旅行を経験したとき、今ほど情報化が進んでいませんでしたから、ガイドブックに載っていること以外はわからないことも多く、それゆえに海外に勝手なイメージを抱くことが多々ありました。

例えば食文化です。

タイでは屋台文化が発達していますから、安くておいしい料理が気軽に食べられます。
しかし、私が初めて屋台を食べたとき、

「大丈夫なのか!?」 「皿はちゃんと洗っているのか?」

とおそるおそる挑戦したことを思い出します。
今でこそ、タイで屋台を食べないなんてありえないですが、当時の私は初めて海外に行った初日の屋台の前でウロウロしていたことを覚えています。
しかし、その後勇気を出して食べた屋台のパッタイの味に感動を覚え、それ以来毎日同じ屋台でパッタイを食べ続けることになりました。

食材が豊富。絶対にうまい!
かなりの確率で添えられる、薄い色のキュウリ(笑)

私自身、幸いにも海外でお腹を壊す、ということはあまりありませんでしたが、当時は携帯電話も海外では使えることはできなかった時代、私は念のため正露丸(糖衣A)を常に持ち歩くようにしていました。

しかし、そんな正露丸でも太刀打ちできない強力な吐き下しを、その後インドで体験することになりました。

(2)インドの屋台のビーフカレー

それは大学4年生の冬、学生最後の1人旅でインドを訪れたときです。
その日、コルカタで私はビーフカレーに挑戦していました。

インドでビーフカレーを食べるということについて、ピンと来られた方もいらっしゃると思います。
そうです。インドは多くがヒンドゥー教徒のため、牛は神の使いとされ、食する文化がありません。
それでも、およそ人口の10%を占めるいわゆる非ヒンドゥー教の人々のための屋台がいくつかあり、あえて私は変化球でビーフカレーを食べていたのでした。(タイのパッタイのドキドキ体験に比べれば我ながら成長したものです)

しかし、目の前にビーフカレーが出されたとき、すぐに後悔しました。
お世辞にもおいしそうには見えなかったからです。
それでも残すわけにはいかないと、無理矢理口に放り込み、飲み込みましたが、お腹にガスがたまる感覚を残したまま私は食堂を後にしました。


冷え切ったチャパティとビーフカレー。果たして本当にビーフだったのか。

(3)インドで生水を飲むことに

ここまではよかったんです。原因はこの後飲んだ水にあります。

水を切らしたため、商店街の小さな雑貨屋さんで、水を買おうとしました。すると、相場の3倍くらいの値段で売ろうとしてきたんです。インドの水の相場もだいたいわかってきたころでしたので、それは高すぎる、もっと安くできるはずだ、と一丁前の交渉をしたことを覚えています。

すると、

「わかった」

と店主は一度店の後ろに下がったかと思うと、いわゆるインド人向けの相場の値段で売ってくれたんです。インド人に値下げ交渉できたと、うれしくなりました。

喉が渇いていたので、一気に3分の1ほど飲み、そして、すぐに違和感に気がつきました。
まずは味がおかしかったこと。そして、中身の水をよくみると、何かゴミみたいなものが浮いていること。

瞬時にやられた!と思いました。

おそらくあの店主は、一度店の後ろにさがったときに、空のペットボトルに水道水から生水を汲んで渡してきたのだと思いました。

しかし、時すでに遅し。
私はお腹の中に強烈な時限爆弾を抱えたまま、悪魔の夜を迎えることになったのです。

生水にはご用心。

(4)悪夢の幕開けと白衣の天使との出会い

そして、そのときは来ました。

コルカタでは、10人部屋のドミトリーに宿を押さえていました。
深夜2時過ぎ。強力な腹痛ともに、目を覚ました私はトイレに駆け込みました。

ここからは、振り返ってみても後にも先にも人生最大のトイレライフが待っていました。

回数で言うと20回以上。猛烈な腹痛と不安を抱えつつ、そして朝を迎えました。

次の日、同じ宿にいた日本人の女子大生とたまたま仲良くなりました。
その女子大生は看護師を目指しているということで、私の生水一気飲み事件の話を聞くと、

「大丈夫。でもこういうときは、正露丸みたいな下痢止めは飲んじゃだめだよ。ばい菌を全部出し切れば治るから、無理矢理止めないように。」

と言って、その後、どこで手に入れたのかわからないポカリスウェットを手渡してくれたんです。

そして、この日私は午後の電車でブッダガヤに行く予定でした。すでに切符を手配しており、電車で下痢は怖かったので正露丸を飲むつもりでしたが、この女子大生の助言に従い電車に乗り込みました。

すると、あら不思議。ブッダガヤに着く頃には、だいたい元のコンディションに戻っていたのです。

この悪夢のような体験を経て、この後、私は少々の下痢にはビビらなくなりました。そして正露丸を手放し、自由の身となったのです。

それにしても、あのときのポカリ、おいしかったなあ。


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