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花壇を彩る

「この分野で業績を挙げている人の中には、理系出身者が多くいます。だからあなたも、理系出身であることを活かして、ぜひ頑張ってほしいです。」


3ヶ月ほど前に、とある教員に言われたことだ。


当時、周囲の研究計画に圧倒され、研究への不安を吐露すれば「無学だからだ」と一蹴され、志を語れば鼻で笑われていた自分には、温かすぎる言葉だった。

しかし、そのような優しい言葉が一瞬で温度を失うほど、自分の心は芯まで冷え切っていた。


(そんなの、言うは易く行うは難しですよ…それができるなら苦労しないし、一体、理系出身であることの何をどう活かせと言うのか…)


他者の優しさ、それも、先人からの言葉を素直に受け止められない。
助けを求めることも出来ず、腐っていく。


しかし自分というのはなんとも都合のよい生き物で、内心では毒を吐きながらも、苦しくなればあの言葉を思い出し、学生生活をこなしていた。

だが、教員と個人的な話をする機会よりも、学生同士で共に過ごす時間のほうが圧倒的に多い。
言葉のカイロは日が経つごとに発熱性を失い、心には霜が付き始めた。

そんな日々の中で、“アカデミアはそれと向き合う人に、平等に開かれる”と信じて疑わなかった自分は、それが分不相応で自分勝手な期待だったのだと感じるようになった。




駅のホーム、最前列で電車を待っていた。
ぼーっとしていると、電車が目の前を通過する瞬間、そこに飛び込む自分の姿が見えた。
思考も感情も凪いでいた。



学校辞めたいなぁ、しんどいなぁ。

吐き出す場所があるはずもなく、忙しい日々に気持ちの処理も追いつかず、ただ誤魔化すことしか出来ていなかったある日。

いつも通り、授業前に空き教室で自習をしていたら、涙が溢れて止まらなくなった。
泣いてすっきりすることはなく、ただただ、悲しみや苦しみ、周囲への恐怖が、実感として押し寄せてきた。


学校、辞めよう。


辞めるなら、もう、なんでもいいや。
授業を飛んだ。グループワークの発表も、誰にも何も言わず、欠席した。


指導教員の言葉がふと頭をよぎった。


「こちらから求めることは何もありません。強いて言うならば、トラブルは起こさないでください。」


退学には確か、事前面談が必要だったのではないか。
そうでなくとも、続く無断欠席に言及されないとも限らない。
申し訳無さでいっぱいになった。

(無知な自分が安易にこの世界に入った上に、トラブルまで起こします、誠に申し訳ございません。)

入学前から師事したかった教員だ。この人に迷惑をかければ、その申し訳無さを、この先ずっと引き摺ることになるだろう。


そしてここでまた自分の浅ましさが顔を出す。

(学校を辞めたら学会に入れなくなる…退学する前に、推薦者の署名を貰っておくか。)

学会の入会申請には、正会員の推薦が必要だった。
勉強の意欲だけはあったため、自分の中で学会に入ることはマストであった。
しかし、すっかり心折れた自分は、自身が学会に入ることもまた、分不相応なことではないかと思っていた。
そのため、なかなか署名をもらう勇気が出ずにいた。

しかし、退学するなら失うものなんてもう何もない。
どんな怪訝な顔をされても大丈夫。
授業終わり、サインを求めに指導教員のもとへ向かった。

「学会入るの!今年の大会はねぇ、○○でするんだよ〜」

肯定するでもなんでもなく、ただ楽しそうに、そう話しながら署名をしてくれた。
自分の中で、何かが吹っ切れた瞬間だった。


後日のゼミで、ちゃんと入会できたかを気にかけていただいた。

「今年の学会参加する?場所は○○だよ。来年は多分△△だよ。」

この人、土地の話しかしないじゃん、って思った。
でも、それに救われた。
マジで土地の話しかしない。
しかも、調べたら出てくるから知ってるんだよね、開催地。


アカデミアは自分にも開かれている。

霜が取れ、氷が溶けた。
この領域が好きな気持ちは、そのままそこにあった。
学問と向き合う姿勢は、初期装備とするには十分すぎるのかもしれない。







先日ふと、自分ならではの研究デザインを思いついた。

理系出身であることを活かす、の意味を、やっと理解できた瞬間であった。
あの日頂いたあの言葉は、発熱性を失ってからも自分を支える土台となってくれていた。

吸水性と保湿性に優れたその土台は、もう一度、自分をアカデミアへと導く水を吸い上げ、そして、育ててくれた。

腐った心は栄養分となって、きっと、これからの成長を助けてくれるだろう。


踏み荒らされた花壇を、美しく飾ろう。
花開かなくとも、万人に理解されなくとも、自分だけが大切にできる花壇を。





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