10日間で人はどこまで変われる? 三か月後

お久しぶりです。
マゾ猫、改め思慕藍伽です。

いろいろと大人の目に付く動きが多くなってきたので、アダルト界隈のおねえさんから改めてきちんとした名前を作成致しました。

まずは今年の4月の記事。

※まだ名前がマゾ猫だったころの記事です。

絵を描けるようになってみようと思い立ち、ちまちま描いていました。
このころから、少しづつ絵をかくようになってきました。

今日はその歩みを記事にしてみようと思います。

まずはこちら、イカです。
この絵はTwitterのAPI制限で「つらい」から「イカ」のしりとりになっておもいついたやつです。

つぎは「イカ」なので「カエル」です。

ちょっと上手になっております。

はじめの化け物だった時から、アニメイラストを描いて、そしてべつのものを描くようになりました。


アニメイラストを描かなくなったのは理由があります。
それは、少し変わるだけで全然違うものになってしまうからでした。

人間の絵って、目の位置があって、髪の毛の位置があって。自分の印象に残った色だけを使ってキャラクターを描いてみると全然違って。原作に対するリスペクトが無い気がして。自分の中で、好きだけどあわないなって思いました。

その点、動物等のいきものは、形状自体にそのいきものの特徴があって、人間みたいに「脚が2本、頭が1個、腕が2本、他の所は微々たる差」みたいなものじゃないので、じぶんなりに描きやすかったんだと思います。

上手とは言えないと思います。
いろんな勉強をした人たちなら「なんだこれ」「こんな変な絵描くなよ」って言われちゃうかもしれないなと思います。

それでもいいんです。描きたいとおもったものだし、好きでやっていることなので。

絵を書いてみる、というのは、小説を書くのが好きな私にとって大きな視点をくれました。

それは、自分は「技術者」ではなく「表現者」になりたいということ。
綺麗な文章、整った文章、そういうものが書きたいのではなく、自分の世界を表現する小説を書きたい。より生々しく伝えたい。

これは、自分の印象に残った色で絵を書いてみる、という行為に挑戦したから得られた視点だと思います。整った絵ではなく、表現したい絵を。その中で技術がいるとしたら、それを吸収する。技術優先ではなく、あくまでも表現の手段として。このプロセスを踏んだ方が、多分効率の悪い私は良いんじゃないかなと思いました。

今まで私がやってきたことは、表現者になりたいといいながら技術者の訓練をしていた気がします。

これから、新しく備わった目で、表現者の練習を重ねていこうと思いました。

最後に、ちょっと顔の似てる友人がいるので、気に入っている絵を差し込んでおきます。





ベルーガの近いが?です。





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