フォントになったからって偉くなるわけではない

自分の意見がきれいなフォントで羅列されているとさも頭が良くなったように思えるけど、実際はそんなこと全くないな。

自分に甘くすることを覚えたことによって人生がかなり生きやすく、性格もけっこう明るく、人からの評価もよくなった気がする。
第一印象で明るいって思われるのはいいことでしょう。まあ実際、性善説だし、ひょうきんだし、明るいですよ私は。自分のこと好きだし。

でも、自分の芯の暗い部分とか、まじめなところとか、ガリ勉体質とか、そういったものが数年間なかなか現れていなくて、特に後者2つ、これはちょっと、あまりよくないね。

勉強ができなくなったなー。ドイツ語がまったく頭に入らない。できないことがストレスに感じることも少なくなった。いや、ドイツ語教室で勉強しているときは感じるけど。それを家に持ち帰れないんだよな。

反省を家に持ち帰れないのはよくない。小さな夢を追えなくなっていくので。少なくとも、少しは落ち込んだ方がいい。だって大学生の時と比べてドイツ語、全然できなくなっているんだから・・・。

でもあの頃は、ドイツ語ができることと引き換えに、できていなかったことがあって、それで傷つけた人がいて、逆に傷つけられることもあったからな。表裏一体なんだよな。

やっぱりドイツが諦めきれなくて、会社を辞めてドイツに行った友達は元気かな。相談に全然のってあげられなかった。自分が恥ずかしかったんだよな、あの頃の熱意がない自分を見せるのが嫌だった。いたいけなプライドですね。持っていてもなんの意味もないな。
でも、あなたの熱意にあてられてしまって、壁を作っちゃったんですよね。申し訳ないなあ、元気だといいな。

まあ、私は私で、やることをやるしかないな。仕事もあるし、夫もいるし、猫もいる。友達もたくさんいて、家族もいて、楽しい。ドイツ語ができなくても毎日すごく楽しい。
でももっと楽しくするために、ドイツ語もちょっとできるようになりたい。

0:100じゃない価値観で生きないとダメだな。10分でもいいから本読むとか、辞書引くとか、そういうところからはじめて、できたとしたら自分を褒めればいいや。

完璧主義でなくなった自分を嫌に思う気持ちはいったん捨てよう。世の中欠けているものの方がおもしろいと気づいたことは素晴らしいからな。

こんなこと書いてると、どこが明るい人間なんだよって思う。


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