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子どものモンテッソーリ教育卒業にあたり

note158日目。
今日は久しぶりにモンテッソーリ教育のことを書いてみたい。

我が家が本格的にモンテッソーリ教育を始めたのは、上の子が小学生に入るタイミング(当時はアメリカ在住)だった。
というのも夫の留学帯同でアメリカに行くことになり、英語が出来ない子どものために、日本でも触れたことのあるモンテッソーリの教具があるところと、地名とモンテッソーリとだけを入れて検索をしたのが私たちの人生を変えた学校だった。

しかも上の子はアメリカで小学生になるタイミング。
運よく、探した学校でモンテッソーリ小学校クラスがスタートすることになり、二人ともが同じ学校の方がラクだし、という理由で決めた。

人生を変えた学校というと大げさに聞こえるかもしれないが、私は息子があの時にモンテッソーリ小学校に通わなければ、帰国後も一般的な日本の学校、教育を受けさせていたと思っている。だから人生を変えたのは事実だ。

アメリカでスタートした息子のモンテッソーリ小学校生活は、日本→ニュージーランドときて、いよいよ巣立つ時がきた。

私はなぜここまでモンテッソーリ教育にこだわったのだろうか?
正直に言って、最初の学校の先生が素晴らしかったので、それ以外のところでは不満に思うこともあった。
けれども、住む環境も学校のも親の都合で変わるのだから、教育だけは一貫させたいと思いが強くあった。国や学校が変わっても同じ教育を受けることが出来る選択肢の一つがモンテッソーリ教育だった。
「同じ言語で一貫した教育を受ける」
これが私が親として子どもたちに出来ることであると思った。
だから、そこにこだわった。
小学校、中高、大学とそれぞれ一つの学校で入学から卒業までを経験した私にとって、学校を変わることのストレスを理解することは出来ない。
でも、何か同じものがあればある程度は乗り越えられるだろうと考えた結果だった。

最後の方は意地になっているようにみえたかもしれない。
子どもたちが、絶対にモンテッソーリ教育を受けたいと言ったわけでもない。
この選択がよかったのかもわからない。
もしかしたら、違う学校でもよかったのかもしれない。
でも、一貫してモンテッソーリ教育を受けてきたことで、息子の中に何かしっかりとした軸が出来たと感じている。

時間割や教科書、宿題に追われない小学校生活。
そこで得たものは多いはずだ。
私もちょっと体験してみたかった。

今月から、モンテッソーリ教育を卒業して新たな学校に通う。
日本より少し早く中学生になる。
どんな中学校生活になるのかが楽しみだ。

そもそも、今日このテーマを思いついたのは、実家に子どもたちのワーク(お仕事)で作ったものが沢山残っていたから。
処分しようかとも思ったけれど、きっと子どもたちのワークをみて今の気持ち、子どもの教育に対しての気持ちを思い出すのだろう。

入学式もと卒業式も経験していない息子の新たな門出を祝って、今の母としての気持ちをここに残しておく。

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