見出し画像

【短編小説】筒井筒 ~露と消えにし~ 

 与市郎よいちろうは伊勢物語が、とりわけ、「筒井筒の恋」の一連の段が好きだ。伊勢の本筋は、神に仕える伊勢の斎宮という、好いてはならぬ女性を好いてしまった男が、その辛い恋を忘れるため東国を旅した物語。そう与市郎は読み解いている。しかし、与市郎は一連の在五中将業平ざいごちゅうじょうなりひらともいわれる貴族の旅物語よりも、挿話風につづられた「筒井筒」の、一つ井戸を隣近所で一緒に使うような幼なじみの男女が、成長するにつれて気恥ずかしくなって一度離れ、のち一緒になり、また心が離れたものの再び絆を取り戻すこの段が好きだった。
 与市郎は伊予に近い土佐の山里に生まれた。
 八重やえは与市郎より五つほど年下であった。与市郎と八重の一家はそれぞれ、山仕事を生業なりわいとしていた。山仕事は共同で行うことも多い。八重が小さく、与市郎もまだ働き手には届かない年の頃は、親が焼き畑や木の切り出しをしているそばで、与市郎はもっぱら八重の面倒を見ていた。八重が望めば蝶をつかまえてやり、水辺で遊びたい時は流れに足を取られないよう見守る。夏の木立の下、蝉が小水をして逃げれば、顔にかからないよう覆うてやる。小さく可愛いらしいものは守らなければならない、そんな使命感のようなものが幼いながらも与市郎の心の中にあった。
 ある日、与市郎が目を離したすきに八重が山の斜面から転がり落ちた。幸い手足にあざができるほどの打ち身ですんだが、与市郎は母にひどく怒られた。一通り叱った後に、やや安堵したふうにつぶやいた母親の一言が、与市郎にその後しばらくの疑問となった。
 「八重は御館様おやかたさまの若のとこへくんや。顔に傷がついたら取り返しがつかんかった」
 なんとはなしにそれ以後、与市郎が八重の面倒を見ることは減った。
 山里に数年がく過ぎた。時はようやく、足利将軍家の威光が消え失せようとする頃だった。
 与市郎が生まれ育ったこの山間やまあいの郷周辺には、さとい男子を京や他郷へ勉学修行に行かせる習慣があった。数百年前には隣の津野山郷から義堂周信ぎどうしゅうしん絶海中津ぜっかいちゅうしんという京都五山文学で鳴り響いた名学僧を輩出している。
 与市郎の住む郷は近在の開墾のまとめ役のような血筋が領主然として治めるようなかたちになっていた。母の言った「御館様」はこの半井なからいの家のことをいう。
 半井家は、先祖は屋島か壇ノ浦の戦さの後にこの地へ落ちてきた平家の血筋という伝説を持っていた。「平」の文字の上の横棒一本を下に降ろして「半」にし、世を隠れつつ血筋を誇っているということだ。家風のせいか半井の家も勉学を好み、郷の子弟をしばしば他国へ送り出していた。聡明さが目立った与市郎は周防へ行くことになった。この頃には戦による京の荒れようは草深い土佐にも聞こえていた。また、戦国大名・大内氏が治める周防は、商業が盛んで、水墨画といった美術工芸などの評判も高まっていた。
 与市郎は周防でもっぱら古典文学を学ぶのに励んだ。時折、八重のことを思い出さないでもなかったが、与市郎の心に浮かぶ八重はどうしても童女の印象ばかり強く、それほど心を占めるものではないような気もした。
 そうして過ごしているうち、急遽親から与市郎を呼び戻す便りが来た。「御館様の家に仕えよ」という。文字に明るい与市郎は、半井の館で右筆、文書官のような係をしろということらしい。
 半井の家への出仕初日に、幼い頃の「八重は若のもとへ嫁く」という疑問が解けた。若の北の方に八重がおさまっていた。
 八重は山育ちのせいか、少し肌の色は黒かったが、すっかり美しくなっていた。領主の跡継ぎの妻にふさわしく、凛とした風情を感じさせる。それでも、かつての童女だったころの印象もわずかに残っており、与市郎に会うと懐かしそうな、気恥ずかしそうな顔をした。
 もはや儂が守るものでもないようだな――。
 与市郎はふと小さいの頃の覚悟を思い出した。
 与市郎が伊勢物語を好むようになったのはこういう頃だった。年々、筒井筒の段が好きになる。実は儂は八重を好いておったのかもしれんな――。今更ながら与市郎はそんな感慨を持った。
 与市郎がそんな日々を過ごしている頃、戦乱は四国でも激しくなっていた。土佐も戦国七雄といわれる土豪が割拠する時代が続いたのち、香長平野より出た長宗我部元親が一国平定の完成段階に入ろうとしていた。

 「与市よ、また伊勢か」
 ある初夏の昼過ぎ、与市郎が館の縁側で書見をしていると、若がにこやかに話しかけてきた。
 国中で戦続きのこの時勢では伊勢はやや読むのもはばかられる気がしないでもない。が、とがめるでもなく、若は言葉を続けた。
 「儂も書物は好きだが、与市には負ける。本読みに夢中で嫁取りを忘れているという噂もまことのようだな」
 若は与市郎より二歳ほど年長になる。いずれは大御館様おおおやかたさまに代わって、この家を守っていかねばならない。
 「伊勢のどのあたりが与市は好きか」
 「筒井筒のあたりです」
 「幼なじみが夫婦めおとになる話か。儂は同じ幼なじみ同士が夫婦になる話なら『源氏』の夕霧と雲居の雁の話が好きだな」
 与市郎はこの自分と同様に書物好きの若を好ましく思っていた。
 その若が近頃、読書よりも刀槍の鍛錬に力を入れざるをえなくなっている。時折、長宗我部や伊予勢からと思われる使いのような者が館を訪ねてくることも増えた。半井の家も遠からず風雲に巻き込まれるようだ。
 「与市は八重の兄のように育ったそうだな」
 突然、若が聞いた。
 「儂が知る八重なる童女は活発で色黒の小娘でした。今の奥方の八重様とはまるで別な娘ですよ」
 「はは、そうか。与市は儂の知らぬ八重を知っておるか。少しうらやましいな」
 そうか、そうかと若は一人納得するようにうなずいた後、さらに言葉を続けた。
 「与市は文字にもっと触れよ。刀槍の世はまたたくまに過ぎるかもしれん」

 そのような会話を交わした数月すうつきのち、そろそろ土佐の山里も夏の盛りとなる頃、半井の館を凶事が襲った。
 半井の館は小さいながらも、三方を崖に囲まれた天然の要害に位置していた。ある夜半、その斜面の下の方から、禍々まがまがしい気配が漂ってきた。長宗我部の一軍だった。三方の崖下を囲まれ、残る伊予への往還に近い門のある方位には、一両具足どもが押し寄せてきた。
 「謀略を好む元親が払暁近くの城攻めという兵法の常道できた。本気で滅ぼすつもりだろう」
 そう話す大御館様の鎧にはすでに数本、途中で折れたまま矢が突き立っている。土佐一国をほぼ平定した元親がついに伊予への進出を図り、腹背がはっきりしない国境の小土豪など一息に滅ぼそうと兵を繰り出してきたに違いない。
 「より多くあの世への伴をつくるしかありませんな」
 大御館様の横で、平家物語の平教経のように若が力強く言う。教経は「死出の山の伴をせよ」と、三十人力で知られた土佐の住人、安芸太郎・次郎兄弟を両脇に抱えて壇ノ浦で入水している。若もここが三途と覚悟を決めたらしい。あとに続けて言う。
 「八重は伊予の河野を頼って落ちよ。与市、連れて逃げよ」
 さらに若はそっと与市郎に耳打ちをした。
 「儂は武門として死なねばならぬが、八重は生かしてやりたい。半井の家に縛られることもない。生き延びたら好きにさせてやってくれ」
 与市郎と八重が駆け出す時、若が叫んだ。
 「八重、顔に炭を塗っておけ。おなごと知れるな」
 それが二人が最後に聞いた若の声となった。

 よく守ったとはいえ、砦に毛が生えた程度の館は半ば落ちていて、いくさは掃討戦の段階になっていた。先ほどまで聞こえていた、守る半井側の怒号もぷつりと途絶え、館を燃やす炎の音だけを背に二人は国境へとひたすら駆けた。
 あの頃は八重を背負って走ることなど、他愛もなかったな――与市郎はあたりを駆け回っていた頃を思った。
 切り立った崖を駆けていた時、完全に日が昇った。運悪く二人は、谷を挟んで伏せられていた長宗我部の弓隊と対峙する形となっていた。隊長らしき人物と与市郎の目が合った途端、一斉に弦が弓を弾く音が続いた。
 よけられぬ――突差とっさに与市郎は八重を抱きかかえて地に伏せた。
 背中に突き立った最初の二、三本は火のような痛みだったが、後はぶすぶすと突き立つ矢の衝撃しか感じなかった。斉射が終わった時、与市郎には十数本の矢が突き刺さっていた。八重に目をやる。運悪く与市郎が盾になりきれなかった一本が八重の左脇腹を深々と突き通し、命を奪っていた。
 与市郎は八重の顔の炭をぬぐった。八重の顔は相変わらず整ったままで、それが与市郎がこの世で最後に目にしたものとなった。うっすらと笑みを浮かべて、与市郎は絶命した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?