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お笑い芸人の千鳥がアパレルブランド「SULLIVAN」を下ネタで貶め、ネット世論がそれを支持するという地獄

 サリバンことJHON LAWENCE SULLIVANは、現代日本を代表するブランドの一つである。そのサリバンの特徴的なジーンズを、お笑い芸人の千鳥が下ネタで貶めた。ただお笑いのネタにしただけではない。チ○○がどうのこうのという、下品で下劣な下ネタで。

サリバンに関係ない文脈で聞いても、げんなりする下劣さだが、それをアパレルメーカーの服に関して使ったのだから驚きだ。デザイナーはもちろん、生地業者や縫製者など、この商品に関わる全ての人が落胆したことは想像に難くない。

たかがお笑いではないのである。当然、デザイナーは「この取り上げ方は残念だ」と述べた。すると驚いたことに、Yahooニュースのコメント欄には、千鳥を擁護し、デザイナーを批判するコメントがあふれたのだ。

内容は大別すると、「お笑いにそれほど目くじらを立てるな」「宣伝になっただろう」というものと、「商品が世に出たらデザイナーの手を離れるのだから、どう解釈しようが自由、違う視点を受け入れるべき」というものだった。

正直、反論する気も失せるというものだが、少しだけ書くと、日本ではお笑いが大きな影響力を持っていて、以後このジーンズにチ◯○イメージがついて、毎回笑われることは目に見えている。そういう宣伝になってしまったのだ。

また、デザイナーの手を離れた一人歩きするという点だが、そういうことが言えるのは、作業着としてデザインしたらおしゃれ着になったというような場合である。このように、以後お笑いのネタになることをデザインの一人歩きとは言わない。

最大の問題は、デザイナーを始め、このジーンズ製作に関わった人々に対して、一片の敬意もないということである。多くの人々が時間と労力を注ぎ込んだ商品を、一瞬の笑いのために、口にするのも憚られる下品な下ネタを使って消費したのである。

表現をする仕事に対しても物作りに対しても、全く敬意を表していない。さらに言えば、他者の労働を軽んじている。送料無料と同じだ。舌先三寸の刹那的な笑いで、一瞬にして全否定したに等しい。これを大げさ、受け入れろなどと言うのは、表現を含めて、真剣に物作りをしたことのない人間だ。

さらに驚いたのは、ネットメディアがこの出来事を、両論併記の無責任な伝え方をしていることである。両論併記は、日本のメディアを劣化させた最大の理由の一つだ。誰からも批判されず、権力からも睨まれず、世論を敵に回さない狡猾な生き方である。そういう下地の上に、古市憲寿やひろゆき、ホリエモンや成田祐輔などが登場し、支離滅裂なことを平然と言って開き直っているのである。

しかし、この問題は別に政治的に微妙なテーマでもない。それなのに両論併記なのは、批判的なコメントの増加とアクセス数の減少を恐れているからだろう。加えて、ネットメディアには問題の本質が全くわかっていないのではないか。マスコミ全体がそうなっている。今や誰もが情報ばかり追いかけて、知性も教養も崩壊している。

さらに言えば、サリバンのような日本のブランドを大事に育てて、世界に出していこうという発想もない。排外的にはなっても、本当の愛国心がないのである。みんなで潰しにかかってどうする。中にはデザイナーの器が小さいという「ファンの声」という声で締めくくった、驚くべきメディアもあった。

そもそも日本は、よしもとが学校を作ったせいでお笑い芸人が多過ぎるし、地位が高過ぎる。お笑い芸人は何をやっても許される。松本人志などは、「女子どもにはわからない尖った笑い」などと言って、後輩のペニスを掃除機で吸ったりしている。そういう人間が大御所として君臨しているから、若い芸人も質が上がらない。そして女性芸人は容姿をいじられ続ける。

そして「とにかく明るい安村」がイギリスで、下着をつけていないように見える一発芸で笑いを取ると、世界進出などと言ってもてはやす。あの路線が続くわけがないではないか。そもそも、あれで世界進出をされても困る。

日本のお笑いには、日本人の屈折が凝縮されている。大衆文化がこんなに低水準では、いくら女性の社会参加や人権意識の向上を叫んでも現実は変わらない。そう言えば自民党の役職者が、「差別はいけないというのは言葉遊びだ」と言っていた。政権与党の実力者が、平気でこう言い放っているのである。G7の参加国なのに。

そして今、サリバンのデザイナーのインスタグラムには、嫌がらせや批判のコメントが殺到している。ご丁寧に下劣な写真やイラストまでつけて。千鳥を擁護するために、そこまでするか。そこに、どういう生産性があるのか。私は番組製作者にも猛省を促したい。お笑い芸人が見当違いのコメントするコーナーの、何が面白いのか。




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