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結婚会見/鈍感力全開の小室圭さんと、プロデューサー眞子さんの残念な日本語

 小室圭さんと眞子さんの結婚が無事に成立して、これで騒ぎも収まるかと思いきや、そうは問屋がおろさないかもしれない。不謹慎な言い方で恐縮だが、これほど興味深いカップルはいない。

 やること成すこと、ちょっと浮世離れしているのである。眞子さんの浮世離れは皇室の人間だからだが、圭さんの場合は全く不思議だ。やはり鈍感力から来るのだろうか。ゴシップメディアは、この二人を今後も追い続けるだろう。

 ただ伝え方のトーンは変わる。佳子さんとのハグもあって、すでに一斉に慶祝報道に切り替わっている。号外まで出たというから驚きだ。最後はこうなるのが皇室の威光である。以後は、素敵なニューヨーク生活の様子が伝えられることになる。

 一方、一般の日本人にとって皇室の人間と知り合いになることは夢の夢、不可能なことである。それがニューヨークで実現するのだから、現地は大いに盛り上がっているはずだ。

 圭さんは「皇室を利用した事実はない」と文書で答えたが、本気でそう思っているなら鈍感力全開か、世間知らずだ。本人が言わなくても周囲が気を遣うのである。それが皇室の力である。皇室の影響力に、こんなに無自覚で大丈夫だろうか。

 何より冒頭、いきなり「私は眞子さんを愛しています」と宣言した。そんなことを面前で言われてしまった我ら国民は、どう反応したらいいのか。しかも、全てを動かしてきたプロデューサー眞子さんが強い口調で話している時、横でニヤケている。そういうところよ、圭さん。

 ところで私は眞子さんについて、以前から気になっていたことがある。それは眞子さんの日本語力である。私が一連の騒ぎで一番気になったのは、そこだ。

 人には誰でも表現の癖がある。眞子さんの場合は「心を守る」である。今一つ、意味がよくわからない表現だ。

 例の「結婚は、自分の心を守りながら生きていくために、どうしても必要な選択です」という文章を発表した時もそう言っていたし、今日も繰り返していた。

 今となっては、PTSDに関連した表現だと分かる。しかしもう公表したのだし、こういう大事な場では、もっと明瞭な表現をした方がよかったのではないか。

 はっきり「自分を守る」と言ってもいいし、メンタルヘルスに言及してもよかったと思う。「心を守る」では曖昧でよくわからない。

 実は「結婚は、自分の心を守りながら生きていくために、どうしても必要な選択です」という文章を発表した時、続けて「お互いこそが必要な存在」というようなことを言ったのである。

 「お互いこそ」ってなに?!  意味不明である。「こそ」と言うのは、唯一無二のものに対して遣う言葉だ。「これこそ私が求めていた回答だ」とか、「あなたこそ適任だ」というように。「お互いこそ」なんて日本語として成立しない。

 あれは大事な文書だったのだから、圭さんと二人で熟考し、練りに練って推敲を重ねたものであるはずだ。それなのに「お互いこそ」とは。英語が得意な圭さんの日本語力も、その程度だということになる。

 佳子さんもなかなかである。小学生との懇談の席で、「一輪車が好きです」という発言に対し、「私も一輪車してた!」と言ったのである。

 一輪車という名刺に、するという動詞の過去形をつなげてしまうという荒技。まぁ、ろくに漢字も読めない総理大臣が、8年も9年もいすわった国である。経済も皇室も劣化するはずだ。

 ネットと動画の時代、世界中どこでも言語能力の低下が著しい。とはいえ、皇室が推敲を重ねて発表する文書ぐらいは、何とかしてもらいたかった。もう、そんな機会もないが。では、お幸せに。

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