見出し画像

NHK「SONGS」を観て思う 宇多田ヒカルが体現するグローバル化と日本

 宇多田ヒカルが14歳で出てきた時、ニューヨーク生まれということが強調されたことと少々不可解な踊りで、正直、何者なのかよくわからないという印象を持った。

 それから月日が経って彼女は結婚と離婚を二度繰り返し、その間に母親を失っている。その後に活動を再開した時、母親と同じ髪型をしていた。そして歌には母性が漂うようになった。

 何より、十代の頃にはあまり表に出ていなかった「日本」が表に出るようになっている。帰国子女で英語を自由に操る彼女が、あまり英語を多用せず、丁寧な日本語を紡いでいることには驚きもある。

 アメリカで生まれイギリスで暮らし、どこの国にも定住したことのない宇多田ヒカルは、頑張ってグローバル化の波に乗る必要がないのだ。難しい生い立ちをした彼女は自然体で自分の内面に耳を傾け、独特の声で優しく謳う。土着的ではないのに日本人の心に届くという、類いまれな歌い手になった。

 日本が官民上げて必死でグローバル化を叫び、グローバル人材なる不可解な言葉に振り回され、トヨタでは外国人副社長が日本人社長の三倍の報酬を得ている実情が異常であることを、改めて感じさせてくれる。

 名演歌歌手だった母親の血を継いでいるのかもしれないが、宇多田ヒカルは中島みゆきに連なる日本の歌い手だ。それが自然にできて、本人は自覚すらしていない。ただただ自分に正直に歌っているのだろう。「グローバル化、グローバル化」と叫んでいるうちはグローバル化できないのである。

 川西玲子/日本を含む東アジアの近現代史を土台に、世界の中の日本について考えている



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?