「うちの子は〇〇ができないから」とつい言いたくなるかも、だけど違う。
人の細胞は4か月で入れ替わる。
なーんて話はよく聞くよね。
一方でわたしたちはよくこう言う。
「わたしは〇〇ができない」とか「●●が苦手なんです」とか。それはまあ自己理解の範疇でもあり、謙遜も含むかもしれない。はたまた「やりたくないことを避けるための方便」でもあるだろうなと思う。
一方で親が我が子のことをそうやって言う場面もよくある。
「うちの子は~~ができない」とか「うちの子は~~が苦手なの」とか。それを謙遜で他人に言う、だけじゃなく、子どもの前で他の家族や他人に「◇◇ちゃんはーーーが苦手だよね」なんて言ったりもする。
これって、なんのために言うのだろう?
◇◇ちゃんは…と言うときその子は25歳とか30歳ではない。
せいぜい10歳とか、13歳とかそんな感じ。下手すると5歳とかだったりもする。こうやって文字で書くと読み手のみなさんの中には、こう思う人もいるだろう「そんな年で、そんな風に決めるの?」と。けど、日常はこんなことにあふれている。
親が我が子を前にして「~~が苦手で」というときにも、それを言って何がいんだろう?とよく違和感を覚える。言われた子どもは「わたしって、苦手なんだ」と認識を強化するだけであって、成長の阻害要因でしかない。「苦手なんだ。よし、頑張って克服しよう」とはならない。だって、そう言っているとき親は「…というのがうちの子なんです」と固定化しているから。
でも、人はだれだって、細胞が入れ替わるようにずっと変化し続けている。その変化の中には「成長」だってある。なのに初期のころに「この子は〇〇が苦手だわ」と見立てたそのことは、あたかも「うちの子=〇〇が苦手な人格」と固定化してしまうことになっている。どうしてそんなことする?
キャロル・ドゥエックの本「マインドセット」の中に2種類の考え方が紹介されている。一つは「人は変わらない=fixed」というマインドセット、もう一つは「人は成長し続ける=growth」というマインドセットなのだが、どうも「わたしは〇〇ができないので」とか「うちの子は~が苦手なので」と語ることは、前者の「すでに固定化された、もう変わらないもの」という考え方になっているよね。その考えで我が子に接していたら「自分は頭が悪いからだめなんだ」「自分は人前で意見が言えないタイプなんだ」って信じ込むかもしれない。それってなにかいいことあったっけ?本当にそう?
実際には、たとえば小学校の同級生に20年後に会うと「え?あの子が?」みたいな変化を遂げていることなど、珍しくもない。
世界の高校生の比較調査データを見るとつねに、先進国の中でぶっちぎりに「自己評価が低くて、自信がなくて、社会を変える力があるとは思っていない」のが日本の子どもたちらしい。それは謙遜の美学なのか、最初から期待値調整する処世術なのか、はたまた本当に自分たちの存在に無力感を持っているのか…。
それを見て「なんで今の子は」とか「悲しい」とか言う前に、大人自身はどうなのさ、ってことを考えたほうがいいよね。大人は自分を変化し成長する存在だと思っているのか、そして、子どもたちを変化し成長する存在だと思っているのか、と。
少なくとも我が子の「今できていないこと」は、「今」できていないだけなんだってことは、忘れないでほしいなあ。
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