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子どもの手柄は親の手柄じゃないっていうことを忘れないでいたい

嫌われそうなことを書くけど、

子どもが社会的に立派に育った親が、その子どもの立派さをネタにしてそれを材料にアピールしている姿を見るのがとても息苦しい。

子どもが次々すごい大学に進学した…?
それは親の関わりの成果かもしれない。でもね、私たちが考える必要があることは、すべては「通過点」だってこと。その凄い大学に入学したことはゴールでもなんでもない。どんな素晴らしい進路の入り口のカギを手に入れたとしても、それで「本人の人生がどのように幸福か」なんてことを判断することはできない。

子どもが優秀で、さらに親ととても仲が良くて、見ていて羨ましくなる…?
それはあなたが今欲しいもの、なんだよね?でもね、子どもの人生は子どものものだ。親と仲良くして親を喜ばせるためにあるわけではない。子どもはいつまでも親の元にはいないし、いてはおかしい。子どもは親の見えない世界をたくさん持って、その子の人生を作り上げていく存在だ。進化というのはそういうことだ。親の見える「安心」「幸福」「喜び」を超えていくのが必然だろう。親と関わりを持たず、でも子ども自身が幸せに生きていくのであればそれで十分だろう。親孝行?っていうのは、親の傍にべったりいて親の望む行動を取ることじゃない。

そんなことをずっと思っている。
もはや成人した子どもの親にとって必要なことは「やせがまん」しかないんじゃないか、ってくらいに思っている。なのに、目につくもてはやされる親たちはいつも、自分を上げる材料に子どもを使っているように見える。それを求める親たちがそれを支持するからだってことはよくわかっているけれど。

親は、親なのになぜ、いつまでも子どもに「親としてほめられたがる」のだろう。親であるまえに子どもより先に生まれた大人なのに、なぜ、大人として自立しないのだろう。親である自分を肯定されることより、大人の自分が大人としてただ楽しく生きていけばよいだけなのに。

風潮として子どもがダメなときに親は叩かれがちで、特に母親は叩かれがち(叩かれすぎ)だと思う。だからといって、その風潮に乗っかって「子どもによって褒められる」ことを求めるのは違う。その風潮は子どもにも伝わっていくので、気の優しい子どもは自分のナニカを親のために選んだり、親に申し訳ないと過度に思ったりしている。親は自分の都合で子どもを産み育てたのであって、成人したあとに子どもがどんな人生を歩むとしてもそれは子どものものだということを、忘れてはいけないと思う(儒教的な思想で「親に◎◎すべし」と言う人は多いが、子どもは産んでくれと頼んだわけじゃないと私は思っている。少数派かもしれないが)。

条件付きの承認、は、愛じゃない、って思っている。

よい親になろうとしている人は多いが、その「よい親」像に子どもが◎◎であること、を持ち込まないようにしてほしい。子どもは親のために生きるのではなく、自分のために生きているのだから。

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