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シャケリブ

鮭が高いなあ。
今は旬ではないけれど、高いのは季節のせいだけじゃない気がする。
たしか、去年の秋だって高かった。
毎年、秋にはすじこを買い込んでしょうゆ漬けを作っている。
でも去年は、「もうちょっと安くなるかも」と様子を見ているうちにすじこの季節が終わってしまったっけ。
 
鮭が高い理由としてよく言われるのは、海外での需要が増えていること&乱獲の影響で……というやつだ。
でも、本当にそれだけかなあ。
なんだか、別の理由もあるような気がしてならない。
 
川で生まれた鮭は、川を下って海へ出る。
そして約4年後、生まれた川に戻ってくる。
人間はそれを狙って、河口の近くなどでガバッと捕獲するわけだ。
漁のやり方としては賢いけれど、鮭にとっては最悪だ。
鮭が長い旅をして故郷を目指すのは繁殖のためで、人間の食卓を豊かにするためじゃない。
目指してきた場所を目の前にしながら目的を達成できないなんて、鮭の無念さを想像するだけで泣けてくる。
 
こうした漁は長年続けられてきたわけだから、その様子を見ていたイワシがサンマに、サンマがカツオに、カツオがマグロに話して……なんて形で噂は広がるはずだ。
海で暮らす鮭たちも、「地元に帰るのはヤバいらしい」という話はさんざん聞いているだろう。
それでも、鮭は適齢期になると生まれた川を目指す。
なぜか?
そうすることが、鮭界の常識だったからだ。

鮭である以上、4歳を目安に故郷に戻って繁殖するべし。
こうした考えが絶対的なルールとされており、逆らうことが難しかったのではないか。
もしかしたら、捕獲される危険を承知で故郷に向かうことが「鮭の鑑」などと称えられる風潮さえあったかもしれない。
子鮭の頃から、「〝鮭道″とは死ぬことと見つけたり」なんて極端なことを教えられてきたかもしれない。

もちろん、心から故郷に戻りたいと思ったり、常識をまったく疑わなかったりする鮭も多いことだろう。
でも、「ヤバいところには行きたくないなあ」「べつに産卵しなくてもいいんだけどなあ」なんて思いながらも、「4歳になったら、故郷に戻るものなのです!」という社会の圧力に負けてしぶしぶ旅立った鮭だっていたはずだ。
 
でも、時代はかわりつつある。
「鮭はこうあるべき」という画一的な価値観に違和感を覚え、自分らしい生き方を求めて声を上げる鮭が出てきても不思議ではない。
鮭界でも、人間界で起こったウーマンリブのようなムーブメント、つまり「シャケリブ」が静かに展開されているのではないだろうか。
そして鮭の値上がりは、シャケリブが拡大している証拠だと思うのだ。
 
「あたりまえ」とされていたことに縛られるのをやめれば、可能性は無限に広がる。
鮭の未来は、もはや「4歳前後で故郷で繁殖」一択ではない。
いつ、どこで繁殖したっていい。
したくなければ、繁殖しないという手もある。

こうなってくると、「帰ったらヤバい」という噂がある故郷の川を目指す鮭が減るのは当然だ。
海には世界中の川が流れ込んでいるのだから、鮭漁が行われていない安全な場所を選べばいい。
いや、そもそも「繁殖は川でなければ無理」ということだって、ご先祖様たちの思い込みが生み出したカン違いという可能性もある。
「わざわざ川に行くのはやめて、海で繁殖することにしました~」なんて先進的な鮭カップルも登場しているかもしれない。
人の目に触れない太平洋の真ん中では、繁殖せずに生き続けることを選び、マグロサイズに成長した10歳の鮭が幅をきかせていたりするのかもしれない。
 

私はもちろん、シャケリブを支持する。
常識を疑い、自分らしく生きようとする鮭たちは尊敬に値する。
同じ時代を生きる者として、心からのエールを送りたい。
が、同時に心配もしている。
たとえ正しいことであっても、新しいことを始めれば必ず反発も起こるからだ。
 
シャケリブが進めば、鮭漁の効率はますます悪くなり、鮭の価格は上がっていく。
もちろん私は、それを受け入れたうえで、鮭たちがより豊かな一生を送ることを祈っている。
鮭の皆さんが幸せになるためなら、塩鮭2枚入り1パックに、喜んで1000円支払う用意がある。
でも……。
残念ながら、私のように心やさしく純真で慈愛に満ち、明るく賢く淑やかでアンジェリーナ・ジョリーにそっくりな人間はめったにいない。
鮭の自由より自分のお財布事情を重く見て、シャケリブに反対する人のほうが多いだろう。
真正面から人間に闘いを挑んだら、せっかく始まったシャケリブ・ムーブメントをつぶされかねない。
 
手に入れつつある自由を守るためには、焦らないことが肝心だ。
歯がゆい気持ちもあるだろうが、そこはひとつ、ぐっとこらえてほしい。
1パック298円だった塩鮭がいきなり800円になってしまう……なんてことが起こると、人間からの反発は大きい。
世界中のあちこちで、確実に「シャケリブをつぶせ!」という声が上がるだろう。
だから、時間をかけてじわじわと進めるのがよい方法だと思う。
 
第一段階として取り組むべきなのは、故郷で繁殖する鮭の数をいったん増やすことだ。
塩鮭2枚入り1パック198円ほどの漁獲量を目安にしてほしい。
後戻りのように思えるかもしれないが、これは絶対に必要な手順なのだ。
世の中には、私以外にもシャケリブの拡大に気づきつつある人間がいるかもしれない。
彼らの目をシャケリブからそらすためにもっとも有効なのは、いったん漁獲量を増やし、鮭の価格を以前のレベルに戻すことだ。
「値上がりしたせいで〝シャケリブ”なんて妙なことを考えちゃったけど、カン違いだったな、テヘ」と思わせるわけだ。
「1パック198円」が私にとって塩鮭の適正価格であることは、ただの偶然だ。
 
その後、あらためて鮭界にシャケリブを浸透させていく。
ただし、重視したいのは、賛同者の数ではなく質だ。
将来、リーダーになり得る鮭に焦点を絞り、シャケリブの精神を伝えていってほしい。
中途半端に行動する鮭が増えてしまうと足並みが乱れ、人間にバレるきっかけにもなりかねない。
未来の成功を見据えて決して急がず、塩鮭1パックの値上がりを1年で1円程度に抑えるペースで賛同者を増やしていくのが理想だ。
 
この活動をコツコツ続け、時が満ちたらリーダーたちが世界中に散って、一気にシャケリブを広める。
そのときこそ、すべての鮭が「故郷で産卵」という見えない鎖から解き放たれ、真の自由を手に入れるのだ。
その結果、「産卵期に河口でガバッ」なんて漁法は不可能になり、鮭は高級魚と化すだろう。
 
ちなみに「時が満ちる」時期は、50~60年後ぐらいに設定しておくとよいと思う。
たとえば60年後だったら、塩鮭1パックは198円+(1円×60年)=258円ほどになっている。
その価格なら、まだシャケリブに気づく人間はいないはずだ。
でも、鮭界では完璧に準備が整っているのだ。

世界中の鮭がいっせいにシャケリブに目覚めれば、塩鮭1パックの値段は一気に10倍、20倍になるかもしれない。
人間が騒ぎ立てても、もう遅い。気軽に鮭を味わえる時代は終わったのだ。
この段階に至っては、私の願いはただひとつ。
すべての鮭に自分らしい人生を謳歌してほしい、ということだけだ。
その頃にはさすがに私はこの世にいないだろうから、鮭がどれほど高くなろうと痛くもかゆくもないのだ。

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