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日記:地元がヤク漬けにされていく

なんとなく文章を書きたくなったので、気まぐれに日記を書いてみる。

少し前、近所の本屋が閉店した。某Tから始まるレンタルショップも併設していた、地元の書店チェーン、その一店舗だ。

この店は、私が生まれる前から営業していたらしい。活動範囲が狭く、インターネットも使えない少年時代は、本、漫画、映画、音楽といった娯楽のほぼ全てはこの店頼りだった。あの頃の私にとっては、この店が芸術と文化の中心だった。

私が成長するにつれ、町中のもっと大きな本屋やインターネットを利用するようになり、この店には文房具の調達くらいでしか立ち寄らなくなっていた。

だから、まあ、閉店しても困りはしないのだけれど……、私の人格形成の礎となった店ではあるから、さみしい気持ちはある。月に500円のお小遣いを握りしめ、毎月1冊ずつ漫画の単行本を買った喜び。幼少期に棚の隙間を通り抜ける遊びをして、迷い込んでしまった18禁コーナーでの戸惑い。

体験としての思い出が、あの店にはあったのだから。

馴染み深い本屋の閉店。これがもたらしてくれるのが、感傷だけならよかったのだけど、憤りと困惑まで連れ立って来たものだから、たまらない。

本屋の跡地に建つという店。これが問題だった。

なんと、ドラッグストアが建つというのである。


何が問題なのかって?

便利じゃないかって?

まあ、確かに近所にドラッグストアがあると便利だ。消耗品の買い出しはしやすいし、菓子や飲料はコンビニよりずっとリーズナブルだし。

開店は歓迎すべきだろう。

場所がドラッグストアの真隣でなければ。

閉店した本屋の隣にはずっと前からドラッグストアが建っている。

ドラッグストアの横にドラッグストア。

誰が考えても非合理的な配置。

何かがおかしい。


あからさまな違和感は、私にあることを気づかせた。

『なんか……、ドラッグストア…………多くないか?』


私はGoogleマップを開き「ドラッグストア」と検索した。

赤いピンが、ずらりと並ぶ。

そうか、ここに建つのは、徒歩5分圏内、4店舗目のドラッグストアなのか。


いらねえ。


ここまでドラッグストアが集中する原因は、所謂、ドミナント戦略というやつだろうか。

特定の地域に集中的に出店することで、シェアを独占する経営戦略。某コンビニチェーンでは店舗を集中させすぎて、雇われオーナーが悲鳴を上げてるなんて問題になっていた。

しかし、これは同じブランドの店舗の集中に言える話である。

本屋の横に元々あったドラッグストアは"S"のブランド。

この度、真隣にオープンするのは"G"のブランド。


……Gによるカチコミじゃないか。


なんということだ……、私の地元でドラッグの利益を巡る抗争が勃発してしまう。

おびただしい流血の予感……。(出血大サービス的な意味で)

因みに、自宅から徒歩5分圏内にある4店舗のドラッグストアのうち、残り2店舗は"C"のブランドである。
どうやら、このCが地元で最もシェアの大きなブランドのようだ。徒歩5分圏内から半径を広げていくと、もう何店舗か入ってくる。

それぞれのブランドのプロフィールは以下の通り。

S:設立が他より40年以上早く、最も古くからこの地域で商売をしている。

C:近年、撤退したドラッグストアの居抜きで店舗を増やし、現時点で地元トップシェア。

G:最も新興ながら資本金はトップ。同県内のシェアも既に他と同等らしいが、私の地元では珍しい。

抗争の構図は、SのシマをCが徐々に侵食しているところ、新興のGがいきなりSを狙ってきたってところか……。常連を抱える老舗を潰した方が旨味が大きい、ということだろうか?分からないでもないが。


まあ抗争は冗談だが、実際殺伐とした空気を感じるし、窮屈だとも思う。

だって、間違いなく言えることは、この出店は何一つ地元住民のためにならないのだから。

Gが元々あるSより明らかに安価で商品を提供できるだとか、品揃えが上回っているなら話は変わるが、どうせ差は微々たるものだろう。これから我々は毎朝チラシ2枚を並べて、間違い探しに興じなくてはならない。

選択の自由は尊ぶべきだが、余計な選択肢が増えるのは、決断力というリソースの損失に他ならない。
創造性を代表する人物、スティーブ・ジョブズが黒のタートルネックとジーンズばかり着ていたのは何故か?物事の決断に要するエネルギーを服選びで消費しないためだ。
今後我々はどちらの店のトイレットペーパーが安いかの選択で意思決定の力を目減りさせ、成功から遠のくのだろう。

しかも、この選択は得をするか損をするかの2択ではないのである。同じ商品が異なる値段で売っている時、安い方を買うというのは当然の行為であって、得ではない、というか得と"認識しない"。
つまりこの2択、正解した場合は何も思わないが、外した場合には「あーあ、損しちゃったな」となる、気分の変動値が"0" or "マイナス"のクソクイズなのである。やってられない。

選択云々の話を抜きにしてもだ。

そもそも、私は"地元"に、今暮らしている地域に何を望んでいるだろうか。

安らぎ、平穏、発展、繁栄、そういうものがあって欲しいはずだ。

それなのに、こんな「どちらかが倒れるのが前提」の街づくりをされてしまった。

緊張と険悪が立ち並び、衰退のイメージを色濃く放つ街角。

否応なしにペシミスティックな気分になる。

案外、この2店舗が長く共存していくこともあるのかもしれないが、同種の店舗の隣接という絵面それ自体が、ポジティブな光景ではないのだ。

地元から本屋がなくなった時、地域から知性が喪失したような感覚があった。

もちろん、本を買う人やDVD/BDを借りる人がいなくなったわけではない。ネットサービスに取って代わられただけで、地元住人の知的活動は変わらず行われている、とは思う。
何というか、そこに住まう人ではなくて、地域そのもののステータスから"かしこさ"の数値が減少するようなイメージが湧いた。
寂しさとは別に、失ってはならないものを失くしてしまったのではないか?というような不安があった。

そして本屋が潰れた直後に、ドラッグストアの隣接なんて馬鹿みたいな話が舞い込んできた。あれは虫の知らせだったのだろうか。

まだオープンまではしばらくあるようだが、どうなるか。

きっと頭の痛くなる光景なのだろうな。頭痛薬には困らないのが不幸中の幸いか。


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