見出し画像

ワクチン2回打っても世界は変わらなかった。フジロックには行かなかった。

目的がなくても文章を書いてもよい、というのはとても心地よいことだと思う。世の中は隅から隅まで意味性と責任に問われているし、時代のせいもあってそれは加速しているように思える。わたしは職業柄、仕事においては圧倒的に文責を持つ必要があるが、気軽に誰かに会えない、云わば「雑談が制限された世の中」において、無名のnoteで、誰も読まないであろう文章を適当に書き殴っても、それは許されることでありたいと願うのだった。ここでは適当に思ったことを、適当に書き残しておきたいと思う。自分なりの、2021年の生活史として。

などと青山一丁目のスターバックスで適当に書き殴り始めたところ、カウンターにパラリンピックのボランティアスタッフと思わしき男性が、コーヒーを手にとって店を後にしていたのを見て、ふと思い出したことがあった。上京した10年前、8月の暮れ。九段下駅につながる半蔵門線内で黄色いTシャツを来た女性3人組がいた。募金箱のようなものを持っていた。それを見て「実在するんだな」と思ったことを覚えている。募金を持って武道館に行く人は、たしかに存在した。サライは幻だとどこかで思っていた。自分が生きている現実と虚構が、半蔵門線のなかで交差した瞬間について、8月の終わりになるたびに思い出すことがあって、その回想をいま、また重ねてしまった。

2021年の7月。都内の電車には、TOKYO2020と書かれたasicsの機能性が高そうなシャツを着た人たちをたくさんいた。ボランティアスタッフの方々だ。ただ、「実在するんだ」と虚につかれたような気持ちにはならなかった。どちらかと言うと、自身が生活の連続性を保つために「見て見ぬ振り」をしていた概念が存在することを「確認した」ような気持ちだった。スタッフの方々は、とても穏やかな表情をされているように思えた。ある男性スタッフの方が、女性スタッフの方に「ボランティアでやるのもいいけど、バイトでやるほうがよかったかもですよね」と言っていた。

結局、オリンピックはおわった。開会式はとてもダサかったけど、終わった。いくつかの「自分が憧れたもの」が瓦解するところを見届けながら、終わった。そしてパラリンピックがはじまるらしい。それを8月22日の青山一丁目のスタバでまた「確認した」。

画像1

フジロックに行くつもりだった。観客として、である。2020年に買ったチケットがあって、それは今年の8月頭にリストバンドになって我が家に届いた。フジロックは「実存した」。だが、私は行けなかった。自分本位に言えば、どうしても楽しみ切れる自信がなかった。ありがたいことに職域接種で2度のワクチンも完了していた。家族もそうだった。もっと正直に云えば、ワクチンを2度終わっても世の中は変わらなくて、それは結構悲しいことだった。僕らは世界を変えることなどできない、といつか銀杏BOYZが歌っていた気がする。配信を観るのもなんだか気が乗らなかったのだけど、柱の後ろから覗き込むようにサニーデイ・サービスを観た。めちゃくちゃ格好よかった。生で観たかった。金メダルを取る瞬間を観たい人も、きっとこんな気持ちだったに違いない。部屋でちょっと高いビールの栓を開けて、NUMBER GIRLも観て、気づいたらソファーで寝落ちしていた。

そんな感じで、自分なりにあれこれ考えながら、ときに自分を赦しながらこの緊急事態を生きているのだけれど、むずかしい、心を保つことは、ほんとうに。
うっかりすると、持っていかれそうになる。
みんな、どうしてるんですか?どうやって持っていかれないようにしてるんですか、と聴いてまわりたくなる。

もっとも、わたしなんて恵まれているほうであることは自明で、それを「自分の努力」などと言えるはずもなく、たぶんいまのところ運がいいだけだ。なるべく身動きを取らないように、でも経済が回るように、自分と家族が「持っていかれない」ように、自分なりの緊急下の暮らしを続けている。何かが途切れたら、終わってしまうような感覚のなかで、心身の健康だけを頼りにしながら、未来を手繰り寄せるように生きていく。

適当に書きはじめた文章だったが、自分の生活への態度を「確認」できた。数か月後にこの文章を読み返す自分へ、また経過報告をお願いします。

ジムに寄ってから、帰ります。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?