【クズ論】人に迷惑をかけないクズになりましょう

「あーあ、明日朝起きたら今日のツイートがバズってねえかなー」
「俺の呟きが有名Youtuberに取り上げられてコラボとかされないかなー」
「宝くじ当たらないかなー、買ってねえけど」
「印税で生活してえなー、曲もマンガも作れんけど」
「Vtuberになってスパチャ盛り盛りで生活できんかなー」
「実家の押し入れに綺麗な状態のポケモンカードや遊戯王カードが眠ってて、数百万の価値になってたりしないかなー」

毎日こんな気持ちで過ごしているクズ同志の皆、こんにちは。
俺の最近の流行り妄想は「『貴殿のブログ拝見しました。弊社の商品を紹介する記事をお願いできますでしょうか』って依頼来ないかなー」です。

自分の人生はどこでつまづいたかを考える時、無意識に親や環境を理由にすること、あるよね。
俺もある。すっごいある。

平成初期~中期くらいだと、自分の人生が上手くいっていない人が考えるのは、
「あの頃に戻ってやり直したい」
だったそう。
でも今は空前の転生ブーム。
「全く別の存在に生まれ変わりたい」
「ヤバい力を持った状態で『強くてニューゲーム』したい」

と願う人の方が多いらしい。
※『強くてニューゲーム』伝わるか不安。クロノトリガーですよ。

俺もどっちかって言うとそうだ。
人生における「つまづきポイント」が多くなりすぎて、どこからやり直しても今のバッドルートに帰ってくる未来しか見えない。
つまり「やり直したいあの頃」がないので「そこまで戻ればやり直せるという自信」もない。
ロードではなくニューゲームでやり直させてほしいのだ。
キャラメイクから。
そんで、出来ればそのキャラメイクも神様任せじゃなく、セルフでステータス割り振りをやらせてほしい。

そんな風に考えながら過ごしていると、精神もちゃーんとひん曲がってくるもので、たとえばすごく人当たりの良い明るい人と話した時に、
「ああ、この人良い人だなあ」
ではなく、
「ああ、この人がこうなのは色んな人に愛されたからなんだろうなあ、良い環境で育てられたんだろうなあ」
と、その人の能力に対する素直な憧れや羨望ではなく、その人が持って生まれた環境や才能、今風の言葉で言うと親ガチャの成功などに対して嫉妬するようになる。「自分もこの人と同じ環境で生まれ育ってれば少しは違っただろうなあ」という具合に、今自分が持ってないものを数えるようになる。

嫉妬者は競争を嫌う~「夢くらい見させろよ」というクズの気持ち~

「いい環境で羨ましい」
といった言葉を発する人に対してはほぼ必ず、
「自分が環境を変える努力してないだけじゃん。その人だって初めからそうだったわけじゃなくて、努力してそうなれたんだよ。その人と同じだけ努力してから言いなよ」
という反論が来る。

ハッキリ言ってその通りだ。正論すぎる。

インフルエンサーや有名人、そこまで行かなくとも日々をキラキラと過ごしている人達は必ず努力しているし自分を磨いている。
そういった人たちやその人のファンからしてみればたまったもんじゃない。
例えば、眉毛を整えたこともないチー牛が人気アイドルを見て『そりゃこんな顔面で生まれればモテるだろw努力云々以前の問題ですけどw』とか言ってる様を見るのは、非常に滑稽に映ることだろう。

「努力していない奴が努力してるやつに対して嫉妬してる」
という構図なのは間違いないのだ。
努力していない、まで行かなくても、成功者の努力と言うものは想像を絶するので、少なくとも「成功者よりも努力の量が少ない」のがほとんどだ。

※磨けば光るものを持った人がする努力と、特別持っていない人がする努力とでは努力の種類が違う。努力しなければいけない幅も違う、という事はハッキリと伝えておく。

そして、成功者に嫉妬する人間の多くに共通する特徴として、
「嫉妬者は競争を好まない」
という特徴があると思っている。

成功者とは、辛い競争・比べられるしんどさ・勝ち負けがはっきりとついてしまう現実と戦い続けた人たちだ。
そしてそれに勝ち、あるいは耐え続けて今の地位を確立したのである。

成功者に嫉妬する人間は競争を好まない。 もっと言うと「負けるとわかっている競争を好まない」と言える。
「優しいから争いごとをしない」のではなく、競争の場に立てば自分が必ず敗者側に回るという事を自覚しているので、結果がはっきりとついてしまうものを避ける傾向がある。
ちなみに、勝てそうな勝負ならむしろ積極的に参加する。自分側が多数だったりするケースとか。

自分が努力不足であるという事には自覚的。 でも、成功者の成功には「自分は持ってなくてその人が持っていた何か」が理由であると思い込む。

だって仕方がない。
「自分が負け組」だったとしても、
「努力では追いつけないほど持っているモノの差があったから負けた」
という事にしておいた方が精神衛生上いいのだ。
「頑張ればもしかしたら勝てていたけど努力を怠っていたから負けた」
では、あまりにもミジメだからだ。
出来るか出来ないかの差ではなく、やるかやらないかの分岐点で相手はやることを選び、自分はやらないことを選んだ(もしくは選択を放棄・先延ばしにした)という可能性を直視したくない。
自分自身のメンタルを守るために、他人の成功にケチをつけるしかないのだ。
自分の本質をまっすぐに見るのが怖いからそういう思考に走る。
「せめてもしもの夢くらい見させてくれよ」
というギリギリの心境なのである。

そもそも、容姿とかの面に関してはガチで才能というか初期ステータスの差がエグいしね。

「クズな考え方だなあ」と思った方。
これは【クズ論】です。

いまだに流行る転生モノ、『親ガチャ』という言葉に精神的に救われたクズども

「親ガチャ」という言葉には、俺も多少なり救われた部分がある。
俺は別に過度な家庭内暴力やネグレクトを受けて育ったわけではないが、時代なりに殴られたり家を閉め出されたり飯を抜かれたり無視されたりという時期があったりはした。
「どこの家庭にもある事でしょ、そんなの」という言葉をかんたんに言う奴は本当にクズの俺から見てもドクズだと思う。大事なのは「何があったか」よりもそのあった出来事に対して「幼少期のその人がどう感じたか、心に傷が残ったか」の方が大事だ。
それにプラスして、例えば家庭で嫌なことがあった時、話せる友人がいたか、相談できる先生がいたか、甘えられる祖父母がいたか、という周囲の環境によってもだいぶ変わってくる。
「私だって同じようにつらかったけど頑張ったよ」
「自分の方がつらい経験したよ」

と言ってくる輩は基本的に無自覚マウンターだと思って間違いない。
「それはこっちの環境と関係ねーだろ」って話だ。

「親を侮辱するなんてもってのほか」
「産んでもらったくせにこの恩知らず」
「努力不足を親のせいにするなんて根性が曲がっている」

この辺の論調であれば理解できる。
俺だって面と向かって親に対して「俺、親ガチャ失敗だったわ」なんて言えない。悲しませるし怒らせるし、良い事がないと分かりきっているからだ。

「親ガチャ失敗」という言葉は、外に向けて発信する文句ではなく、今現在冴えない人生を送っている自分への慰めの言葉なのである。
だから俺の中では、SNSで「親ガチャ失敗した」と匿名でつぶやく(親の目の届かない所で愚痴る)のは正直セーフ判定でいいと思っている。
自分の努力や工夫が不足しているのは百も承知。それでも、何かのせいにして心の重荷を下ろさなければ、自責の念や後悔が重く積み重なってどこにも行けなくなる。そんな人が社会に多すぎるのだ。

「努力していれば俺も今頃…」
は平成初期~中期の「タイムスリップ願望」が起こさせる思考であり、令和現在は、
「環境や才能が整ってさえいれば俺も今頃…」
という「転生願望」を根幹にした思考の方がはるかに多い。

チートスキルを持った冒険者、絶世の美貌と権力を持つ悪役令嬢、恵まれない生まれだが一つの能力(薬草の知識とか)を権力者に見込まれてサクセスするストーリーなどが最初に流行ったのはもう十年近く前の話になる。
出た当初から今に至るまで、
「こんなの一過性の流行ですぐに廃れる」
「転生モノはもうオワコンw」
「チートスキルばっかりで飽きた、もう終わるだろこのブーム」
と言われ続けてきたが、手を変え品を変え、
「転生じゃないけど実はすごい力を持ってたチート主人公モノ」
「現代→ファンタジー世界じゃなくファンタジー世界→ファンタジー世界の転生モノ」
「他の転生モノとは一線を画す転生モノ」
など、いまだに書籍化・アニメ化が止まらない。

こういう作品は正直俺も好きだ(自分と重ね合わせて、とかを意識した事は無いけど)。
シンプルに悪い環境からの一発逆転というつくりのシナリオを楽しめるから。

そこに主人公が目に見える努力をした描写はない。
修行シーンなども今は大幅カットだ。

「冴えない中年とか陰キャの妄想w」
みたいに言う奴もいるけど、読者だって別に、
「これ俺のことだ!俺のほんとうの実力を認めない奴らばっかりの現実と違って、ちゃんと自分の才能で活躍できる主人公はいいなあ!」
なんて思っちゃいない。
そんなポジティブ思考だったらもうちょっと人生楽しんでる。

「努力努力!」
「前向き前向き!」
「頑張り続ければ夢は叶う!」
「最高の仲間たち!」
そういうストーリーにちょっと疲れてしまった人たちの単なる癒しだ。
物語の中でまで陽キャに嫉妬したくないのである。

嫉妬する時はバカになれ

ここまでの論調としてはおおむね「(自分の中で完結するなら)嫉妬ぐらいは許してやれよ」と言うものだったが、ここで「人に迷惑をかけないクズになりましょう」のタイトル回収を。

嫉妬にも良い悪いがある。と思う。
やはり基本的には「相手を嫌な気持ちにさせる嫉妬」は避けた方がいいだろう。

成功者に対して、
「いいなあ、俺もお前くらい実家が金持ちだったらなあw」
「羨ましい、そんだけルックスが良ければそりゃ成功するよねw」
「味方になってくれる人が多くてよかったねw」

といった言葉。
これは悪い嫉妬だ。
褒めているように聞こえるが『お前は実力じゃなく運が良くて成功しただけだからな』という本音をチラ見せする良くない嫉妬の表し方である。

「それってどういう意味?」と聞き返されても「いやいや、素直に褒めてるんだよ~」などと言って自分の醜い部分を指摘させないようにするやり口まで含めて、実に汚い。

こういう言い方でその場は留飲を下げるかもしれないが、そういう言い方をしていると結局「ああ、あいつは素直に人を褒めないやつだから近づかないほうがいいよ」と避けられる。
そして孤独になり、孤独の原因は陽キャのせい、環境のせい、親ガチャのせいと後ろ向きになり、さらに成功者サイドとの溝が大きくなっていく。

そしてSNSや配信アプリ、動画プラットフォームで人気者に毒を吐き続けるだけのポイズンモンスターと化してしまう。

嫉妬するのは別にいい。
ただし、嫉妬を表に出すのなら出し方と言うものがある。
子供の頃、一人だけ新作ゲームを買ってもらったお坊ちゃん同級生に対する気持ちを思い出して、こう言ってみよう。

「うわー!いいないいな!超すげーじゃん!うらやましー!やばー!」

これだ。
背後に皮肉など込めず、ただただシンプルに「相手が今置かれている状況」のみをさして「いいな!うらやましい!」と大声で言ってみよう。
たいがいの人はこう言われて悪い気はしないはずだ。

「そんなんバカだと思われるじゃん」
と思っている人がいるのなら、逆に言いたい。
「醜く嫉妬して、粗探しをしたり嫌味を言う気持ち悪い奴」
と思われるくらいなら「かわいいバカ」と思われる方がまだいいじゃない。

・さいごに

「大した努力もしていないやつが成功してるのが許せない」
とは俺は思わない。
小さな努力を積み重ねて成功したのかもしれないし、他人に努力を見せていないのかもしれない。
あとは「本当に努力せずに成功したんだったら(運はあるとしても)やり方や企画がよっぽどすごかったんだろうな」とかね。

俺が人生を自分の理想通りに生きられていない理由はいくつもあるけど、たぶん一番の理由は「努力の量」でも「努力の方向性」でもなく、自分が望む場所へ行くための「努力の継続」が足りなかったんだろうなと思う。
コツコツ何かを積み上げてきたという経験は、必ず後の人生に役に立つ。
そういう積み上げを感じさせてくれるクリエイターや歌い手はホント尊敬する。

でも、ポジショントークする奴は大っ嫌いです。
イキリクリエイターとかイキリ歌い手とか。
まっとうに頑張ってるクリエイターや歌い手は無限にお友達になりたい。

クズの自覚は「クズだからこういう事やっちゃうんすよ!だから許してねテヘペロ!」という免罪符じゃない。
クズはクズでもなるべく人に迷惑をかけない、なるべく人を不快にさせないクズを目指していくための第一歩なのだ。

長くなったなー…

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