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1年住んで見た“消費主義、東京”

私ごとですが、東京にやってきてから1年と半年が経とうとしています。

上京してすぐに緊急事態宣言が出され、いまだにコロナの影響により

特別な状況が続いている東京───。

まだまだ東京の一部分しか知りませんが、

一年住んで見えた東京の正体(?)を今日は書いてみようと思います。

●東京と消費主義

東京にはモノが溢れています。

都内に出れば、アパレルショップや雑貨屋が溢れています。

そして、高級車もたくさん走っています。

東京には、様々な"コト"も溢れています。

東京タワーやスカイツリーに登ったりできるし、

たくさんの居酒屋、バー、ホテル施設などがあります。

たくさんの誘惑がありますが、それらを消費するにはたくさんのお金が必要です。

そして東京にいると、それらを消費することに価値があると感じてしまいます。 (消費財を提供している会社は、人々が欲しているモノやコトを提供している。)

東京は他の地域と比べ、お金と価値を交換する場所がたくさんある。

そして、お金を使ってどれだけの価値を得たか、ということに意義を感じるように

出来ていると、私は感じました。


●競争の街、東京

なぜ、"お金を使ってどれだけの価値を得るか"が意味を持つかというと、

その裏には競争の心理があるからだと思います。

消費財に価値を見出す人は、価値を見出す"モノ"や"コト"の種類は違えど、

「周り(もしくは過去の自分)よりもいいモノを所有している」

「周り(もしくは過去の自分)よりもいい経験(=コト)をしている」

という、優越感を得たい気持ちが根本にあると思います。

高級車やブランド物を消費したり、タワーマンションの最上階に住むというのが

わかりやすい例です。

そして、それらを消費するために皆、高いお金を得ようと頑張っている。

競争は、資本主義社会である以上絶対存在するもので、

生きている限り競争から逃れられることはできません。

ただ、勝者がいる以上、敗者が存在するのも事実───。

そして、東京では競争の結果が嫌でも目につきます。

住んでいる家、持っている車、身につけている服やアクセサリー。

誰かより高額なものを持っている人がいれば、

誰かより低額なものしか持てない人もいます。

そして、競争の結果が常に目に見える形で表れているので、

街には"優越感"と"劣等感"が溢れていると思います。(少なくとも潜在的には。)

●競争が産む「相対的幸福」と「相対的不幸」

ところで、フィリピンなどの"絶対的貧困層"よりも

日本の"相対的貧困層(≠絶対的貧困層)"の方が、

幸福度が低いというデータがあります。

なぜかというと、フィリピンは所得層によって住む場所が違っているけど、

日本は、あらゆる所得層の人たちが同じ場所に暮らしているから───。

つまり、フィリピンでは貧困層と富裕層は異なるエリアで生活しており、

高所得者と低所得者が交わる機会が少ない。(つまり比較する機会が少ない)

しかし、日本──特に東京──は、あらゆる所得層が同じ場所に暮らしていて、

常に所得の異なる他者(=比較対象)が身近に存在しているため、

優越感や劣等感を感じやすい環境であるということ。

そのため、多くの「相対的幸福」と「相対的不幸」が存在していると言えます。 (消費財に価値を感じる、という前提です。)

軽自動車にしか乗れない人と数千万円する高級車に乗る人が、

スクランブル交差点の信号待ちで横並びになったり、

高級ホテルと安いビジネスホテルが隣り合わせに建っていたり。

だからこそ「成功したい…!」というモチベーションが産まれるのだと思います。(ここでいう成功は、"所得"において競争に勝つという意味です。)     (成功の形は人それぞれあるということは承知の上です。)

●地方と東京の比較

私は、田舎(といっても地方都市?)で高校を卒業するまで住んでいました。

その街にも、いわゆる"高所得者"は暮らしていました。

しかし、わかりやすい高級車に乗っていたり、豪華な一軒家を見掛ける回数は、

東京に比べたらかなり少なかったです。                  (学生だった私は行動範囲が狭く、発見できなかっただけかもしれませんが。)

まだ幼かったということもあり、資本主義社会の仕組みや、高級車に乗る価値を

知らなかったため、気に留めていなかった───ということを差し引いても、

所得の差を感じる場面は少なかったように思います。

田舎だと、コミュニティの平穏を大切にするイメージ(偏見?)があるので、

競争を生まないような、目に見えないプレッシャーがあったために、

高所得者も、高所得者っぽい振る舞いをしなかった説もあるかもしれません。  (想像でしかないです。)

高校卒業後、兵庫に移住してからは高級車や邸宅を目にする機会が増えましたが、

見掛ける回数は東京よりも少なかったですし、

所得層によって場所が棲み分けされていたような印象です。          (高級住宅街や、高級飲食店の場所や、高級車がよく走っている通りなど)

あとは、地域としての価値観もあるのかもしれません。

消費財に対する価値が東京に比べて低い、というような。

完全に主観になってしまいますが、私はそう感じてました。

●価値観は人それぞれ

何はともあれ、東京は消費財が溢れているために、消費財との交換券である

"お金"をどれだけ持っているかが目に見える形で表れ、

お金をたくさん持つことに意味を見出しやすい環境であると感じたという話です。

もちろん人によって価値を感じるものは違うと思います。

私の好きな言葉に、

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。 by ニーチェ

がありますが、あくまでも今回の記事は

無数にあるうちの一つの解釈であるということは重々承知してます。

けど、こうやって色んな側面で一つの物事を見るのは面白く、

これを友達に話した時に、「よく考えてるなぁ。」と感心してもらえたので、

文字に起こしてまとめてみようと思いました。

もちろん、東京には色々な魅力があるし、

逆に地方にしかない魅力もひしひしと感じているので、

また違った観点での "東京"についても書きたいなぁと思っています。 




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