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「絵を描くって思うと、人間はモノをちゃんと見るようになる。」

「───アウトプットしないインプットは無駄だよ。」

これは、以前勤めていた会社の先輩に言われた言葉です。

当時の僕は、勤めていた会社内で部署移動がしたかったので、

異動希望先の業務に関する勉強をしていました。

そして、異動希望先で仕事をしている先輩に電話で相談した時に言われた言葉が、

前述した文言です。

「えっ──────」

脳内を白ペンキで上塗りされるような感覚。

過去を否定されたみたいでショックでした。

なぜなら、貴重な土日休みをその勉強に使ってましたもん。

今までの時間は無駄だった──── なんて思いたくないから

正当化するための根拠を一瞬探そうとしましたけど、

先輩の言う通りだなと納得しました。

正直今は勉強したこと、全く覚えてません。

綺麗さっぱり忘れています。

人間の脳って、必要な情報を記憶しようとするらしいんですが、

使わなかった情報は無駄だと思ったんでしょうね。

ショックでしたが、逆に今後の人生における無駄な時間を減らすための

キッカケになる言葉だと、その場で感謝した記憶があります。


───ということを分かりやすく表している例が、タイトルの文なのかなと。

島田紳助さんの言葉なんですが、

「絵を描くって思うと、人間はモノをちゃんと見るようになる。」と。

島田紳助さんの名言集みたいなものに書かれてあって、

この言葉の意味を説明していたわけではないので、あくまで僕の解釈ですが、

要は、「アウトプットを前提としたインプットは質の高いものになる───。」

という意味なのかなと。

日頃見ている物や景色(=インプット)も、いざ「描け」(=アウトプット)と

言われたら、なかなか難しくないですか?

「いや詳細まで想像できんがな。」と、僕ならなってしまいます。

(絵は小さい頃から苦手なので、仮に鮮明にイメージできても描けないですが。)

けど、仮に美術の授業で、「今から絵を描いてもらいます。」(=アウトプット)

「題材は、隣の人の顔です。」(=インプット)と言われたら、

目の距離とか、鼻の高さとか、眉毛の角度とかをしっかり覚えようとしますよね。

「───おっ、案外可愛い顔してんじゃん…」ってなるかもしれない。

そして、絵を描いた後も、顔のパーツの詳細やバランスも、

なんとなく覚えていると思うんですよね。

1週間後に、「もう一度描け」(=アウトプット)って言われたとして、

インプットし直さなくてもちゃんと描ける。むしろ一回目よりうまくかけるかも。

───といったように、アウトプットを前提としたインプットは、

実用的に組み立てられるし、しばらく忘れない可能性が高そう。

逆に、インプットだけして、いざアウトプットする場面に出くわしたとしても、

「んー確かこんなだったような…」レベルでしか引き出せないと思うんですよね。

これは、今までの経験則でなんとなく感じることですが。


なので、私はアウトプットに必要なインプットを優先的に行おうと決めました。

もしくは、インプットしたい情報があればアウトプットの機会を作りに行こうと。

「練習して、一定のレベルに達したら本番の機会を作ろう─── 」ではなく、

「本番の機会を先に整えて、それに向かって準備しよう。」の方が効率がいい。

というか、そもそも「追い詰められるほど本気になる」性格なのも

関係しているかもしれません。


ちなみに、好奇心を抱いていることに関しては、

インプットしたら忘れないらしいです。(アウトプットしなくとも。)

興味があることを、脳は必要なことだと思うらしいです。

というよりも、脳が必要だと命令を出していることを、

人間は「興味がある」と認識しているということなんですかね。

確かに、興味があることって、自分の人生に関わっていることが多いですし、

自分を救ってくれた(=生存に必要)ことだったりしますもんね。

そう考えると、興味があることに人生を費やすと言うのは本能的だし、

質の高いインプットが出来るから、アウトプットも高い成果を出せる。

興味があることに携わるのは、人生を豊かにする上で大切だと、

日記を書きながら思いました。






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