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この腰の痛みを。

大変に腰が痛い。深夜の通りをコンビニまで歩きながら、腰の鈍痛に喘いでいた。
元々腰はあまり良くないのだが、最近輪をかけて痛い。腰が痛いと思ったら、太腿も痛くなるし名前の分からない体の部位まで痛い。鈍痛と言いつつも時折刺すような痛みが体を走る。その度に天を仰ぐ。さぞ不審者に見えた事だろう。鈍い痛みに刺すような激痛。鈍激痛とでも言うべきか。この痛みなんとか伝えたいが、語彙を持ち合わせていないし、そもそも語るべき友達が殆どいない。悲しみに咽ぶばかりである。

思えば故郷に帰って来てから腰を使ってばかりである。仕事の都合でゴルフを始め、私生活では畑を始めた。いやらしいことは何もない。
私は潔癖な人間ということだ。

ただ、仕事柄イベントにも関わることがあるのでいきなり腰を酷使することもある。先日は20リットル×50個ほどのほぼ1トンの水を運んだ。1トンの水を見たことがあるか。確実に致死量である。運ぶたびに腰に20キロの衝撃が何十回と来るのだ。現代の拷問であると思う。
でもその腰の痛みは心地よさもあった。

そのイベントは勘定板のプレゼンツ企画であった。会社としても初めての試みで、私がやりたいことをさせてくれた。全体としてもかなりの金額、集客も数千人を見込んでいたから、頭に失敗の文字が浮かぶとそれを振り払うように仕事に没頭した。大成功とまではいかなかったが、初めてのイベントにしては悪くない出来だったと思う。イベント最終日の撤収が終わって一息ついて家路に着く。あたりはもう真っ暗で車も走っていない。腹が減ったからコンビニに歩く。くたびれたなぁ、なんて思いながらイベントの事を振り返る。しんどかったな、でも楽しかったな、嬉しいな、有難いな腰痛いななんて。

あれ?これまでもこんなことあったな。演劇作ってる時こんな感じだったはず。伝えたいことを抽象化して、脚本にして、周りを説得して協力してもらって、精度を高めて、お客の反応で一喜一憂して、もうやらないとか言って。その経過を分かち合ってバカだななんて・・・。

それでまた、思い出した。私は一人旅行ができない人だった。その場で飯や景色の感想を言い合うことが何より楽しいのだ。今はもうなかなか一緒に旅行に行けることもない。

コンビニはもうすぐだったがスマホを取り出し、LINEを開く。でもそっと閉じた。

私はまだ温度の高い分かち合いを求めているのか。
その熱さを分かち合える事は、奇跡のようなことだとわかっているのに。

コンビニのレジを済ませる。腰はずっと痛い。

大好きです。