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許してください。

友人がnoteを書き始めた。
本当に嫌になる。
圧倒的に私よりも才能のある彼(しかもサウナに20分も入っていられる)がnoteを書くと比較されるではないか。
小さな小さなコミュニティで自意識過剰かもしれないが、すぐにこんなことを思ってしまうのである。
私はミジンコほどに小さな男である。

彼のnoteを読んでみた。

自分の好きな事やみんな思っているであろうが言わないことを、偏愛的に変態的に、しかも短くまとめている一番知的でかっこいいやつ。
私がやりたかったことはこういうことなのだ。

それに比べて、振り返ってみると私の文章は・・・長い。
自分自身のことをエッセイストと勘違いしているのか。恐ろしい男である。
でも、自分なりに誠実に伝えようと思うと、どうも長くなってしまう。
伝わって欲しいと誠実に、真面目に向き合えば向き合うほどに、である。
思えばnoteを書き始めて2、3年。脚本を初めて書いてから8年くらい。
冗長な展開は全く成長も変化もない。

ただ、内面は変わらずとも自分や周りの環境は大きく変わっていく。
だから書く題材には変化もあると思っている。
僕は3社目の会社に入ったし、私の周りは結婚式ラッシュである。
ここ1年はご祝儀を渡しすぎて、私の財布は主人と同じく寂しいものだ。
なんなら今後は子供の誕生祝いを・・・という未来もそこまで来ている。
他人の幸せのため、今日も汗を流しまくるのである。
嗚呼、回らない寿司を食べてみたい。

先日も一件結婚式があった。
おそらく人生で最初で最後の友人代表スピーチを任されたのである。
友達が極端に少ない私の、一世一代の見せ場である。無論、気合十分。
ただ、新郎である大学の同級生のその男は、妙なことを言ってきた。
「友人代表スピーチは一人だから。」
それはそうだろうと、新郎の友人が二人も三人も登場したら、おかしいだろう。
ただ、そういうことではないらしい。
どうやら「(夫婦)の友人代表スピーチ」ということのようだ。

無茶である。
新郎とは出会って9年、それなりにエピソードもあるが、新婦とはその時点で数回しか会っていない。9年と、数回。どう考えても新婦側の列席者にも悪く、会場の半分の人から相手にされないのではないか。一応反論してみるも、大丈夫だと。とりつく島もない。新郎は結婚式のスピーチでスベッた人を見たことがないのか。いや、幸せいっぱいの夫婦の横で敗北の膝をつくことになろうとも、それすら面白がる新郎の事だ。なんて友達を持ってしまったんだ。サディストめ。しかしこれも運命、玉砕覚悟でやるしかない。

そんな悲壮な覚悟のもと、スピーチの原稿を書いたのである。
しかし、書けないのである。大概の結婚式スピーチは、これまでの新郎や新婦との思い出深いエピソードを披露し、良いところを紹介し、幸せを願うものが多い。
そのエピソードが書けないのである。言えない話が多いわけではない。あまりにくだらない、とるに足らない話が多すぎるというかそれしかないのである。
大概、飯を一緒に食った。年末年始一緒にいた。酒を飲んだ。くらいしかない。
直近の同じコミュニティの結婚式では、スピーチを読む私の友人が、新郎の強烈なエピソードで笑いをとっていた。あまりに理不尽である。

ただ、私と新郎のつながりは本当にくだらない事を膨大な時間一緒に過ごしたことにある。一緒に東京で食ったせっかくの鰻がクソ不味かったこと。大勘違いして好きになり、振られた僕を大笑いしたこと。もつ鍋臭で新郎の部屋を染め上げて、以来もつ鍋禁止令が出たこと。人間関係がうまくいかなくて、飲めない酒とタバコをやってみて涙したこと。昼飯に4、5時間悩んで結局夜飯になったこと。
そこから感じた事を繋げていくしかないのである。

本番当日。緊張で戻しそうになっていた私の番が訪れた。私の名前が紹介されると、彼はスポットライトが当たった僕に眩しいと言った。私はスキンヘッドである。彼はそういう男である。ボイコットして帰ってやろうかと思った。彼なりの気遣いと決めつけて、スピーチを読み始めた。
緊張で話し方がすごく訛ったり、原稿の順番を間違えたり、頭が真っ白になったり。それでもでもしっかり伝えたいと思って、話しました。

結果、予定5分のところが、12分。
12分である。

しかも最近までそこそこウケたと思っていたが、列席した先輩に、「結構滑ってたよね」と言われてしまった。新郎とのくだらないエピソードを12分。僕は本当にバカだ。しかも本人は結構満足しているのである。救いようのないバカである。

ああ、思いを短くまとめたい。そんな知的でカッコいい人になりたい。
私の話は長すぎる。

大好きです。