「まちの植物はともだち」で知った、すぐそばにあるおもしろい世界
2023年、せっせとやっていたことがある。
植物観察。
春になると、どうして芽は伸びるのだろう?太陽の方へ、ぐんぐん伸びる。すごいと思うし、ちょっと怖いとすら思う。あの勢いは、何なんだろう?
小学生みたいな疑問を抱えたまま、大人になった。
知らなくても生きてはいける。でも……みたいな問いが、私にとってのそれだった。
植物観察家・鈴木純さんの観察会『まちの植物はともだち』は「10分の道のりを100分かけて歩く」と言われている。ただのキャッチコピーではなく、本当にそんなペースで観察をするのだからおもしろい。
もともと純さんの本が好きだった。そこに綴られる言葉には、植物への愛や尊敬のようなものがあって、温度を感じる。活字から、写真から、にじみ出る何かを受けとった私は、いつか実際に観察会に参加してみたいなぁと思っていた。
この本を読んでひきつけられた私は、虫かもしれない。
参加した観察会は合計8回の通年コース。2023年3月から12月まで、暑い夏の2か月間を除いて、毎月1回開催された。
季節をまたいで植物の姿を追ってみると、今まで素通りしていた景色が少しずつ変わっていった。
「観察」ってなんだ?
初回の観察会は国分寺公園で。参加者同士の挨拶も早々に、葉っぱとご対面。
「一人一枚選んで、葉っぱを観察してください」と言われたので、一枚を手に取る。
……葉っぱだけ?
名前も知らないただの葉っぱ。
そう思ったのも束の間で、いざ手元の一枚と向き合うと、意外や意外、気づくことが色々あった。縁取りがきれいだなぁとか、緑の小さなポツポツがたくさんあるなぁとか。
手触り、色味、厚み、葉脈の感じ、先っぽのとんがり具合、
あれ?この子、なかなかいい姿してるじゃん。
自分で観察しようと思って選んだ一枚。
じっくり注目して観た一枚。
それだけのことで、他の葉っぱとは明らかに違って見えるようになった。
観察って、こんなことが起きるの…?
自分の見方を変えれば、外の世界の見え方は変わるんだ。
観察したおもしろい植物たち
芽吹きの春から、閉じていく冬まで、色々な姿の植物に出会えた。
街を歩いて、その植物を見かけるたびに、ともだちに挨拶をするような気分になる。
この一年で「植物を愛でる目」が養われたように思う。植物用語や植物学で使われる表現もいくつか覚えて、好きな言葉が増えた。
これから紹介するのは、観察した植物のほんの一部の、ほんのいっときの姿。
葉っぱの周りはよくよく見ると個性的だった。ギザギザ、トゲトゲ、丸っこいもの。
私がいちばん最初に観察した葉っぱはクスノキで、ギザギザがなくて滑らかだった。そして、葉っぱは全体的に波のような動きがある形で、そのことを植物学用語で「波打っている」というらしい。絶妙な表現。
固定概念が崩れた瞬間があった。
「ムベはこれが一枚の葉っぱなんです」と言われて、ポカーン。植物学的にいう「一枚の葉」は、必ずしも小判形のあれ一枚ではないと知る。
街路樹などでよく見かけるヤマボウシ。
初夏に白く咲き誇る、と言いたいところだけど、花びらのように見える白い部分は「総苞片(そうほうへん)」という。
実際の花は、中心にある丸っこい部分に、小さーく、さりげなーく咲いている。
鳥に運ばれるために実を赤くする。美味しい実は鳥にすぐ食べられ、不味い実は人気がなくて、売れ残る。
ところが、その不味さからくる売れ残りも生存戦略だったりする。植物はかなりの策士だ。
服についてなかなか離れない子。
それもそのはず、よーく観ると、ぱっと見でわかる外向きの針に加えて、逆方向に小さな「返し」の針もある。
こんなタネを見ると、生き延びる執念を感じてしまう。
ベロアのような毛に覆われている冬芽。小さい葉っぱの輪郭がもうわかる。
ぎゅっと縮こまっている感じが赤ちゃんみたいでかわいらしい。春に向けてちゃんと準備をしているんだ。
ロゼット状に体を低くして、小さく春を待っている。暖かくなると、ぐんぐん背丈が高くなるのだから、来年はその生命力を自分の目で確かめたい。
植物観察会「まちの植物はともだち」は、道端や公園など、身近な植物にとことんスポットライトを当てる。そこには、遠い国のめずらしい樹木や、店で売られる煌びやかな花は、一切ない。
それが、よかった。
今わかりたいと思うのは、そういう近くのものなのかもしれない。
この世界は、おもしろいもので溢れている。
ついわかりやすいものに引き寄せられがちだけど、
すぐ足元に、目を見張るべき世界があることを、いつだって覚えていたい。
そして、いつか「こんなところに、こんなおもしろいものがありますよー!」ってはっきり言える人間になりたいなぁ。
日本を代表する植物学者・牧野富太郎氏の言葉を思いながら。